ジョージ・バス博士とテキサス農工大学

ジョージ・バス博士 (2018年1月8日)

今回は「水中考古学の父」といわれるジョージ・バス博士とテキサス農工大学について簡単に紹介したいと思います。よく船舶考古学をテキサス農工大学で学んだとアメリカ人に話すと、なんでテキサスの海から離れた内陸にある大学に世界を代表する水中考古学の大学院プログラムがあるのかと不思議がられます。今回はそんなところもにも少しふれられたらと思います。

まず世界で最初に水中考古学が行なわれるようになったのは1950年代です。それまで人は簡単には水中で活動は出来ませんでした。しかしながら1946年に現在に見られるようなタンク型のスクーバダイビングの機材 (Aqua-lung) が発明され、これまでになく簡単に人が水中で活動できるようになりました。しかしながら当初の水中考古学は、考古学者が船上に待機して、プロのダイバーに指示して遺物の引き上げを行うというものでした。しかしながら、陸上で行われる考古学のような正確な実測図(遺跡の地図)の作成や、各遺物の発見場所の記録などは行われませんでした。なので1950年代に沈没船で行われた発掘プロジェクトは、現在では考古学の発掘と認識されていません。

しかし、1960年に当時ペンシルバニア大学の大学院生だったジョージ・バスにトルコのケープゲレドニアで沈没船の発掘を行わないかという招待がありました。それから彼は初めてダイビングの免許を取得し、トルコで発掘を行いました。現在彼が「水中考古学の父」と呼ばれるようになったのは、この発掘で彼がプロジェクトリーダーとして陸上の考古学で行なわれる高い水準の発掘を、自らが潜り指示することにより、沈没船の水中発掘でも行うことができたからです。

その後、トルコのボドルムに水中考古学博物館を立ち上げ、1972年には海事考古学研究所(INA, Institute of Nautical Archaeology, 通称「アイナ」)の前身となるアメリカ海事考古学研究所を創設しました。
INAホームページ

その頃アメリカ本土では大学の研究の幅を広げるために新たな文学部学科を増設する総合大学が増えていました。テキサス農工大学もその一つです。テキサス農工大学は英語表記で、Texas A&M University といいます。A&M は Agricultural (農業)とMechanical (工業)のことをさし、日本語訳で農工大学になります。現在は生徒数が65,000人を超え、世界大学ランキング100位内(日本だと東北大学クラス)に何度も入る名門州立総合大学になりました。そのテキサス農工大学が1976年に白羽の矢を立てたのが水中考古学の先駆者として名前が知られはじめていたジョージ・バス博士だったのです。

こうしてテキサス農工大学から多くの研究費が払われる見返りに、ジョージ・バス博士が教授となり、大学院に船舶考古学プログラム(Nautical Archaeology Program) が開設しました。テキサス農工大学の船舶考古学プログラムは大学院のプログラムで、創設から約40年間に約50人の博士号取得者を輩出しました(私は49人目になります。)。現在他の大学の水中考古学プログラムの教授にもテキサス農工大学の卒業生が多く、テキサス農工大学の船舶考古学プログラム (Nautical Archaeology Program) と海事考古学研究所 (INA) は世界最古で最大の水中考古学の研究機関として知られています。
NAPホームページ

このような功績からアメリカ国内で学者に贈られる勲章の最高位の一つである「アメリカ国家科学賞」をはじめ数多くの勲章を受け取り、ジョージ・バス博士は「水中考古学の父」と呼ばれ、各国の考古学者から尊敬されています。

2000年の引退後もジョージ・バス博士はテキサス農工大学のあるテキサス州のカレッジステーションという町に住んでおり、生徒たちの研究発表や他の国から研究者が訪ねて来た時には、キャンパスに遊びに来て、生徒の良きおじいさんとして皆に愛されています。

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