激務再び。

ドリア沈没船とスペター・ツァブタッド沈没船の調査が無事に終わりました。6月9日に着いてから8日間ぶっ通しで朝から晩まで働き続きています。そして今日はこれまでの発掘調査の最終日。発掘調査ではその初日と最終日が1番大変です。水中考古学の発掘はダイビング機材をはじめ、海底に設置するグリッド(枠組み)、エンジンポンプ、ドレッジ(水中掃除機のようなもの)、ホース、酸素ボンベ、ダイビング用の重りを含めビックリするぐらい多くの器材を必要とします。最終日にはそれらを全部限られた人数で洗い、整理して、運ばなければなりません。

それらを水中発掘の作業後に行うのでいつもヘロヘロになります。今日は午後1時ごろに1回の水中発掘を終え、2時から片付けをはじめ、終わったのが7時過ぎでした。

クロアチアでのプロジェクトリーダーのイレーナ教授は仕事量が尋常ではないことで有名。彼女は自分の生徒たちを水深の浅い安全な発掘現場に招待してまず考古学者の素質をはかります。ある年では1年で40人ほどの生徒を水深の浅い発掘現場に招待します。生徒は約1週間から2週間ほど働いて、水中発掘のイロハを学び、その後、教授に認められた生徒が水深の深い歴史的にも重要な発掘調査への参加を許されます。この人数が1学年から3〜4人ほど。これらの生徒が全学年合わせて15人ほどおり、この中で3年以上教授のチームメンバーとして生き残るのが8人ほどになります。

この水中考古学の鬼ともいえるイレーナ教授のもとで右腕として学部生時代と大学院生時代の8年間働いていたのが、私のブログにも何回も出てくる私の親友で、現在デンマークのバイキング船博物館で働いてるマトコ。彼とイレーナ教授は師弟関係にあります。

マトコは現在はクロアチアに一時帰国しており、明日から開催されるワークショップで私のアシスタントとして働くために今日からチームに合流しました。

ちなみに2012年から一緒に仕事している私に対してもイレーナ教授の要求のハードルは高く、ムチャブリも沢山あります。

私が現在のように各国の研究機関から依頼を受けて渡り歩くように働くようになったのは博士課程を卒業した2016年の5月からです。(それまでは依頼を受けてもアメリカの大学院生の身分だったので大学の研究室で働かなくてはならず、今のように自由に他国での小遣い稼ぎはできませんでした。)

去年の夏(2017年)は今年以上に忙しく、7月と8月は続けてグアム、バハマ、コロンビアでの仕事が休みなく続きました。

クロアチアから正式に仕事依頼を頂いた時にコロンビアでの仕事がいつ終わるのかを聞かれました。9月1日までと答えたら9月2日のコロンビア発クロアチア行きの飛行機をその日に予約させそうになったので、慌てて頼み込んで日本に少しだけ身体を休めるためにのために帰らせてもらいました。結局日本での休暇は3日間(家での滞在は実質2日間)。9月5日にはクロアチアに出発して11月の初めまで働いていました。

今年もイレーナ教授からブルガリアでのフィールドスクールの講師がいつ終わるがいつかを聞かれました。6月8日と答えると、8日の夜の飛行機を予約されそうになりました。せっかく初めてのブルガリアでブルガリアのディレクターも週末の休暇を予定してくれていたのですが、結局クロアチア側から予約された飛行機は9日の早朝。休みなどはもらえません。正直今回もクロアチアでの仕事が終わるまで休みはもらえるのか疑問です。激務です。

とはいってもイレーナ教授や発掘チームの仲間とは何年も一緒に仕事をしているので家族のような間柄、こちらも全く気を使わなくていいので精神的にはとても気楽に過ごしています。

とりあえず明日からはワークショップでなので肉体的には少し楽になると思います。明日も頑張ります。

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