テキサス農工大学のあるカレッジ・ステーションに帰ってきました。今年は約3週間滞在します。私は大学院卒業後も毎年1月から2月の前半にかけてアメリカにある母校に約1ヶ月〜1ヶ月半滞在し研究しています。
研究滞在の1番の理由は歴史考古学研究者としての純度を保つためです。現在私は一年のうち3月から11月まで発掘調査に参加しています。つまり一年の大半を現場で過ごしています。このことは私自身の考古学者としての経験値と技術を高めるためにはとても良いのですが、私自身がいわばフィールド考古学者という現場主体の考古学者に偏ってしまっています。考古学者にとってはいかに現場での経験があるかによって、そこからいかに良い研究分析に使うデータを取り出せるかが掛かってくるので、その経験と技術はとても重要なものなのですが、現場で経験値をとにかく積めば良いというわけではありません。やはり歴史研究者としての文献資料やこれまで行われてきた研究のケーススタディの知識も必要で、研究者として多少頭デッカチになる必要もあるのです。もちろん知識だけあって現場を知らないのでは考古学者はあまりよくないのですが。要は「現場での経験と技術」と「研究室や図書館での知識」とのバランスが大事になるのです。現在私はどうしても現場にいる割合が多くなってしまっているので、水中考古学発掘のオフシーズンである1月と2月に出来るだけ文献資料などを読み漁る時間を設けて、研究に没頭するようにしています。ひたすら研究するのであれば、水中考古学の中心にある研究機関の1つであるテキサス農工大学がもってこいの環境なのです。
2つめの理由はフィリップ・カストロ教授との約束を果たすためです。私はもともと大学院卒業後はテキサス農工大学で博士研究員として働く予定でした。私の恩師であるカストロ教授から誘われ、博士課程の最終年のときに卒業後の研究費を教授と一緒に集めていたのですが、その間に徐々に世界各国の研究機関から仕事の依頼が来るようになりました。私の専門研究の沈没船復元再構築(シップ・リコンストラクション)を行うには、どれだけ頭の中で船のオリジナルデザインと沈没船水中遺跡を繋げて考えることができるかが重要になります。そのため、研究者として長い目で見たとき、私自身が成長するために重要なのはより多くの沈没船遺跡を自分の目で見て研究をすることだと感じました。そして、教授に申し出て卒業と同時にテキサス農工大学を離れて世界の様々な現場を渡り歩き働くことにしました。しかしカストロ教授にとっては目をかけて育てた弟子に裏切られたみたいな感じになってしまいました。教授も大変なショックを受けたみたいです。
しかし、その時教授と約束したのが、博士研究員として2年間 (博士研究員は大体2年ごとの更新) 一緒の場所で働くのではなく、私が毎年少なくとも1ヶ月間テキサスに帰ってきて教授が引退するまで一緒に研究をしていきましょうというものでした。教授は水中考古学の世界の権威で私が彼から学べることが山ほどあります。まだまだ研究者として修行中の私が、もっとも尊敬する水中考古学者の1人であるカストロ教授に追いつき、やがては超えれるような水中考古学者になるためには一度教授とテキサス農工大学のもとを離れていろいろ見て回るべきだと思いました。しかしながら当然教授と私はチームメイトです。なので常に共同研究を進めながら人と海に関わる歴史と造船史の謎を探る研究に一緒に行っています。ちょうど都合がいいことに、教授には大学生になる子供達がいて、彼らはすでに彼らの通う大学にある街に出てしまっているので、教授の家では部屋がいくつか空いています。なのでアメリカにいる間は教授の家に居候をさせてもらいながら24時間研究に没頭しています。
今年は次の仕事が始まるまでの約3週間、再びテキサス農工大学で文献資料を読み漁りながら研究を行います。