アラビアン・アストロラーべ

今日の夕方に無事にダラスから14時間飛行機に乗って中東の国のカタールの首都ドーハに着きました。明日の昼過ぎの飛行機なので20時間ほどの乗り継ぎの時間があり、今晩泊まるホテルを街中に取り、金曜の夜のドーハを散策してきました。今回どうしても行きたかったのが上の写真のイスラム美術館。閉館の30分前に滑り込むことができました。目的は「アストロラーべ」と呼ばれる機械(美術品)でした。

こちらがそのアストロラーべ。中世中期から後期(10世紀~15世紀)のものを中心に思った通り沢山ありました。ざっくり言ってしまうとアストロラーべとは古代と中世の計算機。「古代のコンピューター」などとも呼ばれています。

私は大学院で船の考古学を勉強していた時に専門の1つとしていた「大航海時代」の研究の一環で「航海術」に使われた機器の研究をしました。その中で出会ったのが「アラビアン・アストロラーべ」。大航海時代にヨーロッパ諸国で使われた「マリタイム・アストロラーべ」の元となった機械です。

アストロラーべは既に紀元前5世紀ごろの古代ギリシャの時代に発明されていたとされています。元は天体計測のための道具として作られました。その後古代ヨーロッパの文明文化が西ローマ帝国の消滅とともに衰退し、西側の文明が俗に言う「暗黒の時代」と言われる中世初期から中期(5世紀から12世紀ごろ)に入ると、それまでヨーロッパ諸国で繁栄した古代ギリシャや古代ローマの学問や美術が忘れられていきました。(ちなみにヨーロッパ近代の始まりとされる「ルネサンス」は、この失われた古代ギリシャと古代ローマの学問と美術を再興させようとものでした。)

しかしながら古代地中海文明の英知はアレクサンドリア朝のエジプトなどを通してしっかりと中東世界に伝わっており、古代ギリシャと古代ローマの学問と知識は中世を通してアラブの世界で更に発達していったのです。ヨーロッパ文明が衰退して中東の文明が繁栄した中世中期を「アラブの黄金時代」とも言います。私たちの知るところのアラビアンナイトなどの豪華絢爛なアラブの世界はこの頃の中東を舞台としたものなのです。

先にも述べたように、古代の学問がしっかりと中東に引き継がれて発達したとしましたが、特に数学と天文学はそれを代表とするものでした。私達が現在使う数字が10進法の「1,2,3,4,5,,,」というがアラブ数字で、ヨーロッパの「I,II,III,IV,V,,,」で使われていたローマ数字ではないのが、数学が中東で発達した学問であることを示す名残なのです。

数学や天文学とともにアストロラーべもアラブの世界でより洗練された機械となっていきました。特に砂漠の多いアラブ諸国でアストロラーべは何もない砂漠の中で自分の位置を教えてくれるための機械としての用途もあったのです。

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アストロラーベの本体、表面。(Gunther, 1976)
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アストロラーベの交換式はめ込み板。天と地を現し、使用する町によって微妙に紋様が変わっている。(Gunther, 1976)
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アストロラーベ表面の回転盤。爪の先が星の位置を、中のリングがカレンダーを現す12宮(黄道)となっている。(Gunther, 1976)

アストロラーべのオモテ面には板がはめ込まれており、それが北極星を中心に天体と地上を表していました。(はめ込む板は自分の位置(緯度)、つまり滞在している町によって交換して使用する作りとなっていました)。その上に更に回転板があり沢山の星の位置を表す爪と太陽の通る位置を示す「黄道」を示す円が付いており、この黄道がカレンダーともなる12宮になっており、星の見え方によって板を回転させそれを回転針で黄道に合わせることによって、夜でも時間がわかる「時計」としての役割を持っていました。

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アストロラーベの裏面。紋様と回転針を使い三角測量や様々な計算や測量に使用できるようになっている。(Gunther, 1976)

裏面にもさまざまな幾何学模様と回転針があり、正午の太陽の高さを図ることにより緯度や季節を計算することもでき、その他にも三角測量で建物の高さを計ったりと10以上の様々な機能がありました。

現在でも中世のアラブ世界で作られた真鍮(銅の合金)製アストロラーべは多く残っており、美術館や博物館で見ることができます。時計や位置を測定するGPS、計算機の役割もあるため、アラブ世界では(現在では残ってませんが)木製のアストロラーべがたくさん制作されていたこともわかっており、通話こそできませんでしたが古代のスマートフォンのように一般的な携帯用の機械であったと考えられているのです。

このアストロラーべとアラブの学問は中世後期にかけて再び神聖ローマ帝国とともに復興してきたキリスト教徒のヨーロッパ諸国にも徐々に伝わって行きました。(十字軍の遠征などが起こったのもこの中世後期です。)

特にスペインとポルトガルの位置していたイベリア半島は中世前期中期はアラブ朝の占領下にあり、西洋人とアラブ人が比較的平和的に共存していました。その後中世後期になりキリスト教徒によるアラブ人排斥の戦いであった「リコンキスタ」が起こり完結すると、ポルトガルとスペイン人はアラブの位置測定器でもあったアストロラーべを真似て、新たなアストロラーべを作ります。これが「マリタイム・アストロラーべ」と呼ばれ大海の中で船の緯度を測定する機械として現在でも知られる航海用測定器となったのです。

この大航海時代にヨーロッパ諸国で使用された「マリタイム・アストロラーべ」はアラブ世界で使用されていたアストロラーべの裏面の1つの機能を真似ただけのものでした。しかしながらこの西側のアストロラーべと対比して、オリジナルである中東のアストロラーべは「アラビアン・アストロラーべ」と呼ばれています。

私もこのアラビアン・アストロラーべの美しさと機能美に魅了され、大学院時代にその使用方法を勉強しました。特に表面の天体(恒星)の位置と黄道を現したリングはその紋様の位置さえ合っていれば、あとは制作者によってデザインが決まり、ある意味での美術品としても発達しました。その為1つ1つのアストロラーべでそのデザインが違い、当時のアラブ世界の繁栄を私たちに伝えてくれる美術品としての役割も備わっています。

このような理由もあり、せっかくカタールに来る機会があったので、どうしても有名なアラブ美術館で「アラビアン・アストロラーべ」を一目見ておきたかったのです。時間はなかったのでじっくりは見ることはできなかったのですがそのほかにもため息の出るような様々な素晴らしいアラブ世界の歴史的美術品が様々展示しており素晴らしい美術館でした。

カタールに来た際には是非ドーハにあるイスラム美術館で「アラビアン・アストロラーべ」とその他の素晴らしいアラブ美術を感じてみてください。お勧めです!

 

<参考文献>

GUNTHER, R. T. (1976). The astrolabes of the world: based upon the series of instruments in the Lewis Evans Collection of the old Ashmolean Museum at Oxford, with notes on astrolabes in the collections of the British Museum, Science Museum, Sir J. Findlay, Mr S.V. Hoffman, the Mensing Collection, and in other public and private collections. London, Holland Press.

 

 

 

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