先週はドゥブロヴニクで3次元測量ワークショップを開催していました。諸々の理由で参加人数を10名に抑えた今年(去年の20人は多過ぎました)。オーストラリアから5名の申し込みがあり、蓋を開けたら4名が直前でキャンセル。最終的には6人だけでしたが、その分しっかりと一人一人に時間をとり技術を伝えることができました。
朝から晩までひたすら教えていた1週間。常に質問攻めで全く自分の時間が取れませんでした。そんな中オーストラリアから参加してくれた考古学者にふと、どうやって今の独自の測量方法に辿り着いたのかを尊敬の意味を込めて聞かれ(賛辞を受け)、少し「寂しく」なりました。
大学院卒業後の3年間でアレンジにアレンジにを重ねた測量方法。気付けば自ら博士論文で書いたものとは全く別物になっています。自分の知りたい情報を遺跡から引き出すために試行錯誤を繰り返している毎日。他の研究者とは違った目線になり過ぎ、それ故に「尊敬」をしてもらいながら、それが「距離」にも感じてしまいます。
大学院の後半、周りの生徒から質問されることは増えても、攻撃されることはなくなってしまった時と同じ孤独感。教授たちから意見は貰えても否定されることのなくなった疎外感。心地良すぎる停滞感。アメリカを離れる最大の理由になりました。本当に大好きだったのは自分の無知さを同僚(友人)に気づかされる瞬間。どこかに引っ張ってもらえるような感覚でした。
現在、頼りになる同僚たちに囲まれ幸せな時間を過ごしながら、たまにフッと感じる孤独感。そんな時はやっぱり休んだり寄り道をしたくなります。だけどそれ以上に痛感している自分自身の無知に対する悔しさ。頭の悪さ。もっともっと知りたいという欲求。やらなくてはいけないこと(やりたいこと)の多さ。結局、転がり続けています。
数週間ごとにプロジェクトと国を変えながら研究を続ける生活。気付けば来年の予定も埋まってしまいました。とりあえず日本には帰れなそうです。色々な経験をしながらもそれ故に自分がどんどん変わっていってしまう感覚。しっかりと正しい方向に向かっているはず。でもそれを判断してもらうのは他人任せ(丸投げ)にしています。
ただただ研究者として恵まれ、楽しすぎる毎日。でも1年に1回ぐらいフッと湧き上がるこの感覚にふと考えてしまいます。今更のホームシック?無い物ねだり?帰る場所のない感覚?家なき子?止まり木探し?(おそらく米不足。日本食と贅沢は言わないまでも中華か韓国料理がすごく食べたい。ちょっと考え事した時はいつもお腹いっぱいにお米を食べれば一発で元気になります。好きな時に好きなものを食べれないのも団体生活の難点。今はただただ永谷園の鮭茶漬けを食べたい。)
でも結局は休むという選択(欲求)は無いために、自分のやりたいように進んでいきます。それがいつか他人のためになるような研究になってほしいと願いながら。
それでも友人(同僚)からの何気ない「尊敬」の言葉にあれこれを感じてします。柄でもない。無い物ねだり。結局は日常になってしまい気づいていないだけで幸せすぎる毎日なのでしょう。素敵な仲間に囲まれながら、研究し放題のこの日常に感謝して勉強していきます。締め切りの過ぎた仕事をするために早朝(午前3時)一人パソコンに向かいながら、頭の中で寄り道(仕事の進まない言い訳)をしています。つくづく意志の弱い人間。でも自分の弱さも嫌いじゃないです。久しぶりの一人部屋、夏の夜のひとり言、失礼しました。
現在はコーチュラ島で3次元測量を別の同僚に教えながら新しい沈没船の調査中。殆どが海底に埋まっていますが、様々な遺跡の状況から見ると、おそらく25m越えのベネチア商船。16世紀か17世紀。これはまた面白すぎる研究対象。今後水中発掘となれば間違いなく10年以上のプロジェクト。
来週からは別の街に移動し、他のチームメンバーと合流して縫合接合の古代ローマ船の大規模な水中発掘が始まります。はしゃぎ過ぎて身体が潰れないように抑えつつ頑張ります。