先月に働いていたコスタリカ側の責任者のマリアさんから連絡がありました。彼女は私たちがコスタリカで働いたことをすごく感謝してくれていて、ヨーロッパに帰ってきた後も、その後の現地での調査の様子を教えてくれているのですが、今日は私について記事を書いたので読んでくれないかとメッセージをもらいました。
記事はスペイン語だったのですが、それをグーグル翻訳で英語に訳して読ませていただきました。とても嬉しい記事だったので自慢させてください。以下がその記事の日本語訳になります。

私は善良な海賊に会いました。彼は日本から南カリブ海に来て、若いダイバーと海の研究者にフォトグラメトリを教えました。
「ポティン」とは、私のプエルトリコに住んでいるの孫娘やカウイタの少女たちが歌う鼻歌の登場人物です。彼は木製の義足、ガラスの義眼、大きな鼻を持った海賊です。そして私はこの日本からの先生をポティンと名付けました。
私はこの山舩晃太郎がこの歌に歌われている海賊のように思われたのです。「ポティン、ポティン、木製の義足、ガラスの義眼、大きな鼻」
私が彼をポティンと名付けたのは、「ガラスの義眼」の印象からです。この日本人は写真を撮るカメラの「ガラスの義眼」を通して物を見ます。
これが彼の専門分野です。数百枚の対象物の写真を撮って、それをコンピュータによって3Dモデルに変化させ、全てのものを可視化してしまいます。
事実、彼は優れた海賊なのです。なぜなら彼は宝物を盗むのではなく、彼は考古学として沈没船遺跡から3Dモデルを作り出し、失われた沈没船の情報という宝物を作り出してしまうのです。この善良な海賊「ポティン」がフォトグラメトリをつかうことにより、私たちは今まで隠されていた宝を見ることができます。彼はカメラという「ガラスの義眼」を使い宝物を回収します。
この男は真っすぐで、伝染する透き通る笑顔を持っています。彼はスペイン語を知らず、英語は日本語なまりですが、表現力があり彼の言葉を理解させる能力と手段を持っています。
私が昔、この南カリブ海の国々で語学の教師として働いていた時のことを思い出します。そのころの南カリブ海の沿岸地域がは誰にも支配されていなく、さまざまな種類の人々がそれぞれの言語を話していました。その時代は全ての言語が使われていたのです。
私はでもこの日本人がどうやって別々の言語を話すコスタリカ人、デンマーク人、ウクライナ人に英語で教え、全ての技術を教えることが出来たのかその方法がわかりません。でも彼の生徒らは彼の技術を学ぶことが出来たのです。
彼はフォトグラメトリのマスターです。これは彼が博士号を取得しているからではありません。これは彼が、私たちにこの技術を教え、私たちがこれから知りえる海事考古学の可能性に情熱を持っているからです。
そして彼は新しいタイプの多言語を操る教師でもあります。彼は生徒に理解できないことがあると、何度も何回でも生徒に機会を与えコンピューターを使いながら練習を行いました。
このように、生徒たちは考古学を根本的に変えるかもしれない最先端の知識を学びました。考古学の遺跡や遺物の測量、保存、分析するためことのできる3Dモデルです。
彼は一体何者なのか?
彼のクラスはとても濃密で難しいものでした。この困難なクラスの中で生徒たちも彼と同じように「ガラスの義眼」を発達させていきました。
10日間のクラスが無事に終えると、彼はカウイタ国立公園のロス・ラドリヨスにある遺跡で、夏の最後の荒波を航海することに専念しました。
ポティンはカウイタの沈没船に輝く海の光を知っています。この海底には秘密が眠っていることを知っているのです。しかし、ポティンは実際に遺跡に触ることなく、海の秘密を盗み出します。なんという海賊の王様でしょう!
彼がパソコンでロス・ラドリヨス遺跡の3Dモデリングを皆に見せてくれた夜、私を含めすべての若者が初めて見たものに驚きました。私たちはこれまで4年間、考古学的にその場所で潜水作業をし、何千ものレンガを見て、分析研究してきました。
しかし、その夜、コンピューター画面を通して、これまでにないものを目撃しました。
私は誰もが言葉を失っているのを見て、なんと笑顔になりましたか!ポティンは何度も彼らに語り掛けましたが、彼らは言葉を失ったかのように画面を見て、沈黙したままでした。
それは明らかでした!これはもはや難破船の痕跡ではなくなりました。3Dモデルは、レンガの位置と大きさを明らかにし、船のシルエットを完全に映し出すことができました。
ポティンはゆっくり3Dモデルを回転させながら、沈没船をさまざまな角度を表示し説明を続けました。誰もが言葉を失いながら見入っていました。
ついにこの場所は「遺跡地点」から明確に「沈没船遺跡」となりました。
その夜、ロスブリックの遺跡は「場所」から「遺跡」になり、レンガは「物」から「遺物」になったのです。

正直にとても嬉しい記事でした。私は大学院時代の空き時間にTED Talkというプレゼンテーションをよく見ていたのですが、そのなかでアフリカなどで難民救助や教育普及に携わっている人々の活動を見て、水中考古学なんてやってる場合じゃないんじゃないかと真剣に考えたことが何度もありました。
しかしながら博士課程に進み、なかなか後戻りもできない中で、これからは自分にしかできない方法でもなにか人のために出来ることもあるだろうと考え、自分の造船史の研究の加え、遺跡保護のための技術も研究し始めました。(単純に自分勝手に好きなことばっかり研究してることに罪悪感のようなものもありました。それを埋めるためのエゴといったらそれまでなのですが。つまりそんなに高尚な考えではないです。)
どこまで役に立つのかわかりませんが、遺跡を守ることによって、次の世代の人々が自分たちの歴史を学ぶ機会を作ることが出来るのではないかと、
卒業後は積極的に遺跡保護の活動も続けながら、いろいろな国で働きました。口頭では多くの人から沢山感謝の言葉もいただいていたのですが、このような記事で自分の仕事を改めて評価してもらえると、自分の活動は間違ってなかったんだと励みになります。
近年は世界各地の国々で水中考古学が始まっています。それらの地域に住む人々の力になれるようにこれからいっそう頑張ります。
改めてやる気出ました!
今日からトルコのイスタンブールに来ています。明日から友人の教える大学で特別講師として10日間フォトグラメトリを生徒たちに教えます。
そしてその後は茶太郎ちゃん(実家の愛犬)に会いに日本に少しの間帰ります。楽しみ!