「チューク諸島、水中戦争遺跡保護のためのフォトグラメトリ水中考古学フィールドスクール」総括

久しぶりの更新になります。忙しくて全くブログに手を出す時間がありませんでした。すいませんでした。

無事に1月4日に7日間にわたるフィールドスクールの全工程が終了して、5日に日本に帰ってきました。

今回も多くの皆さんに助けられ、素晴らしい時間を参加者の皆さんと過ごすことが出来ました。

フィールドスクールの感想はまた時間があるときに改めてゆっくりと詳しく書かせていただきます。

今回のフィールドスクールでは「フォトグラアメトリを用いた水中での3Dモデルの作成」と、その「3Dモデルを用いた経年変化の測定」に焦点を当て、毎日朝の9時から夜の10時まで講義と作業を行ってきました。

幸運なのは今回も素晴らしい参加者の皆さんに恵まれたこと。こればっかりは本当に運がいいとしか言い表せないほど、すばらしい方が集まってくれました。私も7日間純粋にすごく楽しく過ごせました。

そして今回のフィールドスクールが開催できたことの意義。おそらく日本の民間人(一般市民)が集まり、現地で「水中文化遺産保護」を目的とし働くことのできたのはチューク諸島だけではなく太平洋では初めての事例なのではないでしょうか?これからも毎年頑張って続けていきます。

今回のフィールドスクールの成功にあたりまず感謝したいのが現地チューク諸島在住の日本人の皆様。様々な暖かいサポートをいただけました。

特にJMAS(日本地雷処理を支援する会)さま。チューク諸島では日本の沈没船から油を回収して、油の流出による環境破壊を未然に防ぐ活動をしておられます。今回はJMASさまから様々なサポートをいただき、現地での作業を円滑に行うことが出来ました。

JMASさまの「環境保護活動」と私たちの「水中戦争遺跡の保護」。私たち社会の共有の財産である「海とその遺産を守る」という目的のため、一緒に働かせていただきました。本当に何から何までありがとうございました。

 

そして今回のフィールドスクールを通して改めて様々な水中戦争遺跡に関わる多くの問題と課題が見えてきました

水中慰霊碑設置

まず最初にしなければならないのが、「各水中戦争遺跡での水中慰霊碑の設置」。

現在はチューク諸島の沈没船などの水中戦争遺跡では、残念ながら日本人以外の一部のダイバーの方により戦没者の遺骨などが移動されてしまったりという問題が起きています。

これらの一部の心無いダイバーによる迷惑行動に対して一番有効なのが水中に戦没者のための「慰霊碑」設置することです。これにはもちろん純粋な慰霊の意味が第一にきます。しかしながら他国のダイバーの迷惑活動を抑制する意味でも水中への「慰霊碑」設置は他の地域で大きな成果を上げています。

他国のダイバーの方々にももちろん戦争で亡くなった方々を尊重する文化はあります。しかしながらチューク諸島の水中戦争遺跡では慰霊碑はまだ設置されていなく、他国のダイバーにとってこれらの日本の沈没船はいまだ「水中地形」であって「戦没者の記念碑」ではないのです。

まずは日本人が先頭となり、しっかりと「慰霊碑」を各水中戦争遺跡に設置することにより、これらの沈没船は「水中地形」から「水中戦争慰霊碑」とし、それによって他国のダイバーの意識を変えていけることが出来るのです。

コンクリートブロックと常設係留ブイの設置

もう一つ早急に必要なのは係留ブイの設置です。これまではダイビングボートの錨が使える浅い場所にある水中戦争遺跡では錨が使用されてきました。深い場所にある大型の遺跡では船体に直接ロープで係留ブイを設置していました。

これら錨と係留用のロープをダイビングのたびに水中遺跡に設置しては水中戦争遺跡を傷つけてしまう可能性があります。

この活動を防ぐには水中遺跡の横にしっかりとコンクリートブロックを置き、そこから常設の係留ブイを設置しなければなりません。これによってダイビングボートの錨やロープによるダメージを防ぐことが出来ます。

もちろんこれらの解決策には費用が掛かります。まずはこれらの問題をしっかりと提示して、そのうえで予算を取っていかなければなりません。

やはり願わくば日本政府からこれら水中戦争遺跡を保護するための予算が下りてほしいと願っています。チューク諸島でなくなった方々は日本国のためにその尊い命を犠牲になされたのです。

3Dモデルを使用した経年変化測定の継続

そして今回のフィールドスクールで行った水中戦争遺跡の3Dモデルを使った経年変化の測定も継続して行っていきます。

例えば全長100m以上の大型船舶の沈没船の全体の保存処理を行おうとすれば、おそらく何千万円単位が必要になっていきます。

そこで3Dモデルを使用した経年変化測定を行い、特に劣化の著しい場所を特定し、そこを局所的に補強することで効率よく戦争遺跡の保護をしていきます。チューク諸島の環礁内にはわかっているだけでも約45隻の沈没船遺跡(墜落した飛行機などの水中遺産はまだ見つかっていないものを含めると400カ所を超えるといわれています。)があります。現実的に全ての水中戦争遺跡を一度に保護していくだけの予算も時間もありません。なので効率よく遺跡を水中で保護保存していくには、遺跡の劣化の状況を正確につかまなくてはいけません。その為に今回のフィールドスクールでは日本人の参加者の皆様に「3Dモデルを使用した経年変化の測定方法」を学んでいただきました。

これまでは一部の日本人の中にも「戦争」という話題にはあまり積極的に取り組まない方々も少なくありませんでした。それはやはり戦没者の遺骨があるかもしれない水中遺跡にあまり人を近づけたくないという思いがあるからです。私もこの考えは理解できます。しかし残念ながらチューク諸島の産業は「観光産業」しかありません。そのため、沈船ダイビングを中止させることは不可能なのが現状です。(戦時中と戦後直後に日本軍が在住し食料を徴収したため、チューク諸島では日本人による大規模な人為的な飢餓が発生し多くのチュークの方々が餓死しました。戦争中に地元民に迷惑をかけた日本人の私たちが再び戦没者のためといって現地の観光産業の要である沈船ダイビングを中止することは道徳的にもやってはいけないことだと私は考えています。)日本人の私たちにとってするべきことなのは、積極的に遺跡の経年変化測定や遺跡の保護などを手伝い、現地の観光業を支援し、その中で戦没者の遺骨がある場所をしっかりと特定することにより、沈船全体を立ち入り禁止にするのではなく、遺骨の発見場所や沈没船の構造の劣化が激しい場所などを局所的に安全のために立ち入り禁止にすることは不可能ではありません。その為にも積極的に日本人がこれらの調査に関わっていかなければなりません。特に3Dモデルを使用した経年変化の測定は遺跡の状況の詳細をしっかりと理解するための核となる技術です。チューク諸島のHPO(歴史保護局)の職員はまだ少なくソフトウェアなどの機材をしっかりと整っていないのが現状です。そのため日本人がこれに積極的に関わっていくことが必要になります。

確かに戦争遺跡はとてもセンシティブな題材ですが、だからこそ目を背けるのではなく、私たち日本人が中心となり、現地の人々をサポートしながら積極的に関わっていかなければいけないことだと考えます。

日本人へのチューク諸島の戦争遺跡の周知化と地元観光業の活性化

そして経年変化の測定をしっかりと行い、水中戦争遺跡の保護を行っていき、更にその過程でつくられた3Dモデルをチューク諸島のダイビング産業のPRに利用することで、より多くの日本人観光客をチューク諸島に連れてくることも必要になってきます。

上で少し述べたように、太平洋戦争中日本軍のせいでチューク諸島では人為的な飢餓がおこりました。その罪滅ぼしではないのですが、日本人観光客を少しでもおおくチューク諸島に来てもらうことによりチューク諸島の経済が豊かになるはずです。

チューク諸島はグアムから飛行機で片道2時間ほどで着きます。グアムのダイビング産業はそれこそ年間何億円もの重要な観光産業になっています。このグアムでダイビングを楽しむ人々の一部だけでもチューク諸島に来てもらうことによってチューク諸島の経済は潤います。先ずはホテルとダイビングセンターが豊かになり、その後は島中のレストランまでお金が流れるようになります。そしてタクシーやストリートマーケットまでお金が落ちるようになれば島の経済が豊かになります。

この様に水中戦争遺跡を守るということはチューク諸島に住む人々の生活を豊かにすることにつながっていきます。

チューク諸島の将来の若者のために歴史情報の保存

そして将来的に重要になるのが3Dモデルのデジタルデータの保存です。

考古学というのは「お金持ちの国の道楽」です。明日の食べ物を確保することを考えなければならない国や地域では、自分たちの歴史にまで気を回すだけの余裕はありません。残念ながらチューク諸島の大多数の人々はまだまだ貧しく、自分たちの島々の歴史にまで興味を広げるには至っていません。しかしながらミクロネシア連邦とチューク諸島の政府の職員はしっかりと日本軍の戦争遺跡を自分たちの歴史の重要な一部と捉えてくれています。近い将来チューク諸島も豊かになり多くの若者が彼ら自身の歴史を研究する日が確実に来ます。その時に水中戦争遺跡が劣化し崩れてしまっていたら彼らは自分たちの歴史を研究することが不可能になってしまいます。彼らの将来の子供たちのためにも私たちが協力し少しでも多くの戦争遺跡をデジタルデータとして残していかなければなりません。その為にも3Dモデルは作っていかないといけないのです。

まとめ

最後に戦争遺跡の3Dモデルデータを次の世代に残すことは私たち日本人にとっても重要になります。今年で戦後75年。戦争を知っている世代が少なくなってしまいました。戦争は絶対に繰り返してはならない「悲劇」です。私たち上の世代が経験した悲惨な戦争を繰り返さないためにも、少しでも多くの戦争遺跡の生々しい情報を次の世代に残していかなくてはなりません。

チューク諸島に眠る水中戦争遺跡を守っていくにはミクロネシア連邦と日本の両側から協力して活動していかないといけません。昨年にミクロネシア連邦がユネスコ水中文化遺産保護条例に批准しその土台が整いました。今回のフィールドスクールに参加してくれたビル・ジェフリー教授は既にミクロネシア連邦の文化庁の職員と連携を取りながら様々な水中文化遺産保護のための技術を現地の職員に伝えるための活動をはじめました。

そして今回のフィールドスクールでは、小さいながら日本側からも水中文化遺産保護のための活動の最初の一歩を踏み出せたと思えます。これから重要になってくるのが様々な方々とこれからも連携を強めていき、継続していかなければいけません。

これには本当に様々な方々からの助言や協力が必要になっていきます。もしチューク諸島での水中文化遺産保護のための活動がうまくいき、土台を作ることが出来れば、これをケーススタディ(良い例)として太平洋中に広がっていくかもしれません。

本当に小さな一歩。でも確実に前に踏み出すことが出来ました。今回協力してくださった皆さん。本当にありがとうございました!

そして8名の参加者の皆さん。超スパルタのフィールドスクールでしたが、全日程お疲れ様でした!それにしても皆さんと過ごした一週間、笑い声に溢れたとても楽しい時間でした。また一緒に働きましょう!

今年の年末もチューク諸島に戻り、フィールドスクールを続けていきます。よろしくお願いいたします。

「チューク諸島、水中戦争遺跡保護のためのフォトグラメトリ水中考古学フィールドスクール」総括」への2件のフィードバック

  1. 山舩さん お疲れ様です(^-^) 日本に帰って来てらっしゃるみたいですね! ところで、質問です💡 ダイビングのライセンスはPADIのCカード⁈で大丈夫でしょうか⁈💦(>_<)

    1. はい。PADIのCカードで大丈夫です😊

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