皆さんは今から美保関沖事件をご存知でしょうか?
美保関沖事件とは今から93年前(1927年)、第一次大戦後のワシントン海軍軍縮計画に基づく大型軍艦の艦数制限に伴って行われた、夜間奇襲訓練中に海軍の軍艦4隻が追突事故を起こし、その中の一隻の「蕨(わらび)」が沈没してしまった事件です。この4隻が追突した海難事故では119名の方が亡くなりました。
美保関沖事件の詳しい情報は「美保関事件慰霊の会」のホームページをご覧ください。
https://gojikai1927.wixsite.com/mihonoseki
私の地元でもある鳥取県米子市で慰霊の会が活動しているということで、今年の2月頃から注目させていただいていました。そして幸運なことに慰霊の会の会長の松下薫さんと、副会長の大原歳之さん、そして近年の様々な調査をなされている大原圭太郎さんにお会いできる機会もいただきました。
そして今年の5月に「慰霊の会」の皆さんが地元の建設会社である「アサヒコンサルタント」さんと協力して、事件から97年を経て、ついに軍艦「蕨」と思われる影を水中97m地点でとらえました。
大海からピンポイントに沈没船を見つけるというのは、たとえ事故現場の座標が残っていたとしてもとても難しいことです。
それを今回は「慰霊の会」の皆様の長年の地道な事前調査と、アサヒコンサルタントさん技術力で可能としました。本当に凄いことなんです。

今後も引き続き軍艦「蕨」の調査を、USSエモンズなどの水中戦跡調査の実績のある九州大学の浅海底フロンティア研究室、エジプト考古学での3D調査実績のある民間会社ワールドスキャンプロジェクトさん(の市川さん)、フォトグラメトリ3Dモデル作成の専門家の伊藤さんの合同チームが「慰霊の会」と「アサヒコンサルタント」さんの調査のサポートを行ってくれます。9月の半ばに、蕨を映像で確認するための水中ドローン調査と、水中遺跡の保護とモニタリングの基礎となる3Dモデル作成のためのデータ取得を行い、今後の水中慰霊碑設置のための水中調査を行います。
私がこの美保関沖事件にとても注目しているのは、この水中調査で最終的に「水中慰霊碑設置」までの成果までたどり着くことが出来たら、93年前に起こった海軍の事件の地元の小さな「慰霊の会」と民間企業の有志によって産み出された成果というだけに留まらず、近年、日本国内の各地域で年々消滅してしまっている太平洋戦争の「遺族会」の皆様の今後の活動に目的を与えられていくものだと考えています。
これは「右」も「左」も関係なく、先の大戦で亡くなった方々は、国益だ、国防だというよりも、何よりも私達の祖父母、つまり家族を守るために命を落としました。これはまだ「歴史」にしてはいけないことです。単純に考えて、私達の祖父母を守るために戦った犠牲の上に、次の世代になる今の私たちの平和があるのです。
ただ日本近海や太平洋には、いまだ暗く深い海の底に水中遺跡が眠っています。そして忘れ去られています。彼らの犠牲の上に私たちの平和があるということを私たちが決して忘れないためにも、水中慰霊碑設置と、水中戦跡の墓標としての保護が必要です。
そのためにも太平洋戦争の75年前よりもさらに前の93年前に起きた美保関事件で地元の会と民間会社(市民)が主体となりこの様な活動をしているというのは大きな意義があります。
水中調査が来月行われます。今後の彼らの調査に注目をよろしくお願いします。