「水中慰霊碑」設置の重要性と駆逐艦「蕨(わらび)」調査の意義

昨日(2020年9月21日)、テレビ朝日の「報道ステーション」内で先週行っていた「駆逐艦蕨(わらび)水中調査プロジェクト」についての特集を放送していただけました。全国放送のニュースで「美保関事件」について取り上げていただき感謝です。これをきっかけに少しでも「水中戦争遺跡保護」の機運が高まることを願っています。(まだの方はこちらのリンクから視聴できます。「初の水中撮影 駆逐艦『蕨』93年ぶりに発見(2020年9月21日)」

今回は少し真面目な話をさせていただきます。今回の「駆逐艦蕨水中調査プロジェクト」は3つステージに分けて行っています。今はちょうど1.が終わったところです。
1.駆逐艦蕨の水中映像取得、マルチビームで確認された海底地形を100%蕨だと断定する。
2.水中遺構の今後の保護(経年変化測定)と現状確認のための水中遺構の精密3Dモデル作成。
3.駆逐艦蕨の水中遺構での水中慰霊碑の設置。(「慰霊の会」を中心に行います。)
です。

今回は「駆逐艦蕨水中調査プロジェクト」の最終目標である「水中慰霊碑設置」の重要性について述べさせていただきます。

「水中慰霊碑」とは簡単に碑文の書いた石碑で、これを水中戦争遺跡の遺構内(艦首のすぐ横など)に設置します。もちろん目的は亡くなった方々への慰霊です。彼らは自分の家族や友人を守るための犠牲になりました。そして守られた人々が私たちの祖父母です。彼らの犠牲のおかげでその孫の世代の私たちが今のように平和な暮らしをしていけています。これは右だとか左だとか関係なく、彼らの守った人々の孫である私たちが感謝の意を込めて、墓標となっている水中遺構に慰霊碑を設置しなくてはなりません。
  
  

さて、ここからが本題です。実は「水中慰霊碑の設置」には「慰霊」という目的以外にも重要な意味があります。

それは「水中戦争遺跡の保護」です。

私はこれまでに主にアメリカ調査チームの一員としてやUNESCOから派遣された専門家としてサイパン、グアム、ミクロネシアで水中戦争遺跡の調査と保護について仕事をしてきました(戦争遺跡は研究としては専門外なのですが水中調査の経験が豊富なので依頼が来ました)。そこで直面した問題の1つが「太平洋戦争時の水中遺跡」が雑な扱いをされているケースが多いということです。これは水中戦争遺跡が「水中地形」とみなされているからでした。

例えばミクロネシアのチューク諸島(旧トラック諸島)ではそのに眠る水中戦争遺跡は世界的に人気なダイビングスポットとなっており、欧米を中心に世界中から沢山のダイバーたちが集まっています。しかしながらチューク諸島に沈む日本の水中戦争遺跡はそこまで丁寧な扱いを受けていません。それは観光に来る欧米ダイバーのほとんどの人にとって旧日本軍の水中戦争遺跡は、美しい魚の集まる壮大な「水中地形」であって、彼らはそこでかつて多くの方が亡くなった水中戦争遺跡だとは知らないのです。そのため沈没船の遺物を移動させてたり、機銃やコクピットに空気タンクを付けたまま座って記念撮影をしたりで、それが長年積み重なり水中戦争遺跡が結果として破壊されています。だからといって観光客を規制することは事実上不可能です。ミクロネシアなど産業の少ない太平洋の島国の多くが観光業に頼った社会システムを既に何十年も構築しているからです。

ただ欧米のダイバーが戦没者に敬意を払わない人々かといったそうではありません。現在進行形で軍隊の存在している欧米諸国の人々の間では、戦没者は時代が古くても社会的に敬意をもって扱われています。問題は純粋に欧米のダイバーたちはそこで大勢の方が犠牲になった「戦争遺跡」だということを知らないだけなのです。これが太平洋の各地で眠る水中戦争遺跡に起こっている問題です。

そこで「水中慰霊碑の設置」なのです。既にこれはサイパンのいくつかの水中遺跡に設置・実践されており、確実に成果を上げてきました。つまり水中慰霊碑を設置することにより、それまでは「水中地形」や「漁礁」でしかなかった水中遺跡が「戦争メモリアル」「戦没者の墓標」「戦争博物館」へと昇華し、観光ダイバーによる破壊を伴う行動を抑制できるのです。例えば皆さんが普段気にしていない家に眠る骨董品が、急に専門家から「これは○○作で○○の所有していた価値のあるお皿です」と言われたら、その後丁寧に扱うようになり、大事に保管するのではないでしょうか。「認知する」というのはそれほど重要な意味があるのです。「水中慰霊碑設置」は万国共通の「鑑定書」となります。

もちろん「水中慰霊碑の設置」によって全ての問題が解決できるわけではありません。「水中遺跡の保護・補強」や「遺骨の回収と帰国」も同時に行っていかなければなりません。そのために私たちも上であげた目的②の3Dモデルを用いた経年変化測定の方法論を構築しています。しかしながら特殊技術と大規模な調査が必要な「遺骨回収」や「遺跡改修」は莫大な予算と時間がかかります。もし予算がおりるのを待ち、遺跡の一つ一つで作業が終わるのを待っていたら太平洋戦争時代の水中戦争遺跡は全て劣化によって朽ちてしまい、いままだ日本国内にいる遺族の皆様もいなくなってしまいます。そのことを考えたときに「待つ」というのは最悪の悪手なのです。それに比べ慰霊碑の設置は比較的「安価で短時間」で可能なのです。

今述べさせていただいたようにタイムリミットは目前に迫っています。水中遺跡は陸上よりも劣化が遅く、まだ多くの水中戦争遺跡がその形状をとどめています。しかしながら水中でも酸化は起こります。チューク諸島では2002年に行われた専門家の調査によって「2017年頃に水深の浅い場所から劣化が完了し崩壊が加速する」するとの調査報告が提出されました。実際に近年浅い場所にある水中戦争遺跡から徐々に崩壊しているという現状があります。水中戦争遺跡がこのまま後50年~80年で全てなくなってしまうのか、150年~200年残していけるのかは今の私たちの行動次第なのです。そしてもう一つ重要なのが日本全国で活動している「遺族会」の皆様です。やはり戦後75年たち、多くの遺族の会が自然消滅していってます。願わくば遺族の方々がご存命のうちに彼らと共に「水中慰霊碑の設置」を行いわなければならないと考えています。
  
  

戦争遺跡というものはとてもセンシティブな議題です。私はこれまで中米諸国で黒人奴隷輸送船の発掘調査などを行い、歴史というものには様々な捉え方があるものだという考えに至りました。歴史には様々な解釈があるものなのです。そして歴史というのは「経験」です。人類や国を「人」と考えたときに、歴史というのはその人の「経験」です。過去に経験した事柄をもとに次の判断を行うことがことができるのです。そして遺跡とは「写真」や「思い出の品」です。これらが無いと記憶は徐々に薄れていきます。「写真」や「思い出品」が無いとその時の情景を詳細に思い出すのは難しく、納得のいく判断が下せないかもしれません。

難しいことは別としても「写真」や「思い出」が亡くなってしまうのは寂しいですよね。
   
  

さまざまな意見はあるかもしれませんが、ただ「水中慰霊碑設置」によって遺跡へのダメージを軽減し、「水中戦争遺跡を少しでも長い間次の世代に継承する」のは間違えなく重要なことです。

よい例は「原爆ドーム」です。もちろん記述や伝承、写真資料なども重要です。しかしながら原爆ドームが今も広島市内に存在することにより、「そこに実際に原爆が落ちたのだ」という証拠としてまじまじと「歴史」を「事実」として私たちに伝えてくれています。原爆ドームがそこに在るのと無いのでは歴史の意味合いが全く変わってくるのです。これから50年、そして100年たった時に「太平洋戦争の記憶」が持つ意味合いは今の私達のものとは別のものとなっているのでしょう。そのためにも「未来の世代の判断材料」として日本周辺、そして太平洋の各地に眠る水中戦争遺跡の保護を今私たちが真剣に考えていかなければいけません。亡くなってからでは遅いのです。

そしてもう一つ、これから顕在化してくる問題が「技術の進歩」です。ドローンが近年急速に普及したように、現在は水中ドローン(ROVs)でも急速に機体の高性能化・小型化・低価格化が起きています。間違いなくあと4~5年のうちに「誰でも水中ドローンを使い簡単に水中戦争遺跡を訪ねることのできる」時代がくるでしょう。これら水中ドローンにはロボットアームなどのアクセサリも搭載可能です。現在は100メートルまで潜れる水中ドローンの価格が30万円~ですが、すぐに5万~になります。数年後に多くの人が水中戦争遺跡を訪れるようになる前に、少しでも多くの水中戦争遺跡に「水中慰霊碑の設置」を完了し、「水中地形」や「漁礁」ではなく、「水中戦没者記念地」「戦争博物館」として守っていかなくてはなりません。

  
  

最後にもう一つだけ皆様に考えていただきたいことがあります。

水中戦争遺跡が議題となるとき必ず出てくる声が「戦没者がいるから、そこを荒らしてはならない」という声です。私もこの意見の意図はわかります。しかしながら現実には水中戦争遺跡は「安らかに眠っている」のではなく「放置」されています。そしてこの「荒らしてはならない」という声は「めんどくさいことになるから触れてくれるな」と考えている一部の人々から利用されてしまいます。これまで75年間「放置」されていた水中戦争遺跡では、既に一部の心無い観光ダイバーや底引き網やダイナマイトを用いた漁業(太平洋の各地)によってダメージが蓄積されてきました。本当にそこで亡くなった方々のことを思えば、水中慰霊碑を設置し、私たちが水中遺跡を積極的に守っていかなければなりません。(潜在的な水中戦争遺跡が地元漁師にとって大事な漁礁となっているという場合もありますが、蕨の場合は「軍艦」と呼ばれる漁礁の周りに、新たに使い古した船を沈め新たな漁礁を作ることによって解決しました。)

皆さんはもし何かの為にどうしても犠牲にならなければならなかったとき、その後、守った相手や友人から感謝の言葉をかけてもらい、自分の行動(犠牲)を認知して伝えていって貰いたいとはおもいませんか?忘れ去られるのは寂しいですよね。

これにも人それぞれ意見がありますし、一番尊重されなければいけないのは遺族の声だと考えます。しかし私個人の考えとしては「放置する。」というのが犠牲になった方々への最悪の冒涜であると考えています。

  
今回私たち調査チームの関わらせていただいた美保関事件と駆逐艦蕨(わらび)は事件から93年経ち、遺族の方もほぼ全ていなくなってしまっています。しかしながら松下会長をはじめとする「慰霊の会」の皆様が現在まで美保関事件の記憶と記録を守ってこられ、それを地元の大学生である大原さんが継承しているというとても稀有な例だと考えました。

この美保関事件で沈没した駆逐艦「蕨(わらび)」に水中慰霊碑を設置することが出来れば、今後戦後100年に向けて徐々に機運が高まってくる太平洋戦争時の水中遺跡でも「同じ活動ができるのでは?」と、日本に点在する「遺族会」の方々と、大原さんの方な地元と歴史を愛する若者に同じような行動を起こしてもらえると信じて関わらせていただきました。

重要なのが「水中慰霊碑設置」という考えを広めていくことです。この信念のもと、私達研究チームは今回全員がボランティアで忙しい中日程を空け、自費で集まり行動しました。菅教授も私も、そして全ての調査メンバーがそれぞれ別の研究や仕事があり、時間的にも現実的にもこの様な活動を続けててはいけません。(今回は株式会社ワールドスキャンプロジェクトさまに出資していただき、九州大学・浅海底フロンティア研究センターに研究室をはじめ様々な機材を使わせていただきました。)
ただ水中慰霊碑の設置はそこまで難しいことではありません。重要なのは私たちが行うのではなく、多くの方に賛同していただき、「水中慰霊碑設置」を活動として広めていくことです。そのためには皆さんの協力が必要です。

もし皆さんがこれを読んで「水中慰霊碑の設置」という考えに少しでも賛同していただけるなら、この考えを地元の「遺族会」の方々や若者たちに広めていってほしいと願っています。

協力お願いいたします。

研究者チーム一同
(菅、市川、伊藤、渡辺、木村、大原、一ノ瀬、忠津、山舩)

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