2021年度、駆逐艦蕨(わらび)船体後方部の調査報告(水中映像あり)

ブログを再開するとか言いながら、なかなか更新できずに申し訳ないです。

少しずつ頑張って更新します。

最近の私は、学術研究員をさせていただいている福岡県にある九州大学で、先月とってきたデータの処理を毎日行いつつ、研究チーム(九州大学・株式会社ワールドスキャンプロジェクト・日本海洋事業株式会社)の今後の国内外での予定を仲間たちと立てています。

今回参加した研究チームのメンバー(写真の時のみマスクを外してます)
ちなみにこれなかったメンバーを入れると15人ほどになります。

さてさて先月に行われた、美保関沖事件で94年前に沈んだ駆逐艦蕨(わらび)の船体後部の調査ですが、大成功のうちに終えることが出来ました。

先ずは94年間行方不明だった蕨の船体後方部を発見。昨年に発見した船体前方部と合わせて、これで行方不明だった蕨の船体を全て見つけることが出来ました。それと共に失われていた駆逐艦葦(あし)の船尾部と思われる構造物も映像に収めることが出来ました。これで美保関沖事件で行方不明になっていた船の全ての部位を発見することが出来ました。

(上の動画はWSPのケンジ君につくってもらいました。)

今回の調査では、昨年に引き続き「美保関事件慰霊の会」の大原さん親子(歳之さん、圭太郎さん)から、蕨の船体後部の位置に関する有力な情報を得られたと連絡があり、私たちの合同研究チーム(九州大学・株式会社ワールドスキャンプロジェクト・日本海洋事業株式会社)が、今回も調査の実働を有志でお手伝いさせていただくことにしました。

合同研究チームの名前をどうしようかなーと最近考えています。やはり開発した機材からとってチームMURAKUMOかなー?(撮影WSP)

この私たちの合同研究チームは「世界中の水中文化遺産の記録と保護」を目指しており、海に眠る水中戦争遺跡も保護しなければならない対象として最重要事項の一つであると考えています。特に太平洋に眠る戦争遺跡には、一緒に海に沈んだ英霊たちの残された遺骨の問題や、船体に大量に残された燃料の流出による環境への影響の危惧があり、現状のように行方不明のまま忘れさられ、慰霊も行われぬまま、意図せぬ底引き網や錨の係留などで、本来海の墓標であるべきはずの水中戦争遺跡が破壊されているのを、私たちは良しと考えていません。

慰霊の会の皆さんとは、①船体の引き上げは行わない、②水中慰霊碑(モニュメント碑)を設置する、そして③歴史の継承を行っていく、という共通の目標を設置し、昨年に引き続き、無償で協力することにしました。

九州大学の菅教授と私と「美保関沖事件慰霊の会」の皆さん。 (写真の時のみマスクを外してます)(撮影WSP)

今回はさらに大阪にある株式会社ハイドロシステム開発さんがマルチビーム音響ソナーとその運用の無償提供、地元の境港市の遊漁船ジョイマリン(Joy Marine)さんが調査船とその運用を無償提供していただきました。両会社の社長さんたちは「歴史の継承と水中戦争遺跡の保護は誰かがやらなくてはならない重要なことだから」と快く本来なら数百万でかかるであろうサービスの無償提供を申し出てくださいました。

今回は調査船だけでなく、色々な現地作業でお世話になったジョイマリンの大原章社長。ちなみに慰霊の会の大原歳之さん圭太郎さん親子とは親戚関係ではありません。大原という名字が特別多くない地域での偶然の一致です。(撮影WSP)
ジョイマリンの大原章社長には調査用の作業基地も提供してもらいました。(撮影WSP)
マルチビーム音響測深データを確認するハイドロシステム開発さん。 (撮影WSP)

調査は順調に進み、慰霊の会が事前の聞き取り調査をしていた座標を、ハイドロシステム開発さんのマルチビーム音響測深をかけることにより、駆逐艦蕨の船体後部と葦の船体後部らしき影を発見することが出来ました。その後に私たちの研究チーム(日本海洋事業・ワールドスキャンプロジェクト・九州大学)が共同で開発した水中ドローンを使い、蕨の船体後部を確認。さらに船体の現状確認と水中慰霊碑の設置、歴史の継承のための資料となるデジタル3Dモデル作成用のデータを取得しました。調査は7月19日~25日の7日間でした。

いつもながら水中ドローンのパイロットはWSPの市川さん (撮影WSP)
機械の開発を行った日本海洋事業の片桐(左)さんと船上での指揮をしてくれた田山(右)さん(撮影WSP)

今回の調査で驚いたのは、駆逐艦蕨の船体後部(今年発見)と船体前部(昨年発見)が10キロも離れていたことです。通常は考えられないことだとは思いますが、これは隔壁構造を持った「軍艦」だからこそ、このように船体の前方部と後方部の沈没地点が違うという状況が起きたのでは推察されます。

駆逐艦蕨よりも10mほど後方に追突された同型の駆逐艦葦は、船尾部が丸ごと切断された状態であるにもかかわらず、沈没することなく他の軍艦に曳航されて、無事に港まで帰ってきているという事実があります。これはこの時代の軍艦に既にしっかりした隔壁構造が備わっており、数カ所に攻撃を受けて浸水しても沈まないように造られていたからです。

駆逐艦蕨は葦よりもやや船体中央に近いところで追突と切断をされているものの、被害状況は葦と似ており、おそらく嵐の中で追突で二つに割れてから数時間は海面を漂い(舵とスクリューは船体後部と共に切断され)操縦は不能なまま10キロ近く流されたのではと推測されます。

今年の調査で見つかった蕨の船体後部と葦の船尾部はとても近い距離にあり、マルチビームソナーの影だけでは、葦の船体後部が蕨の船体前方部のように見てとれなくもないですが、昨年私たちが発見した駆逐艦蕨の船体前部は、水中で発見された船体の状況(鉄製の船体(木造の漁船ではなく、鉄製の大型商船の沈没記録もない)で、船首の形が蕨と酷似、何よりも船体後方部が切断された形で見つかっているという珍しい状態の沈没船であること)から、昨年見つかった船体が蕨の船体前方部というのはまず間違いないだろうと考えられ、今年見つかった蕨の船体後方部も艦砲や砲台などの形から駆逐艦蕨(わらび)のもので間違いないだろうと思われます。



今回の調査に関してもう一つとても良い知らせは、昨年と今年の調査結果を経て、今後は鳥取県の担当の方々も積極的に美保関事件慰霊の会と美保関事件で失われた駆逐艦蕨の船体の保護、地元の歴史としての継承の支援を行うように調整をして下さるとのことです。

「美保関沖事件」は「海の八甲田山」ともいわれ、私たちの記録に残していかなければならない痛ましい事件です。今回の一連の調査を経て、改めて美保関沖事件で亡くなった119名の皆様への慰霊と、事件としての歴史の継承へ新たな光を与えることが出来れば、お手伝いさせていただいた私たち研究チームとしても嬉しい限りです。

今年度の調査をもって、私たちの調査チームとしては事故現場での慰霊を目的とし支援させていただいた「94年間行方不明だった船体の発見」という目標は一段落着きました。今後は水中慰霊碑の設置のお手伝いをどの様にお手伝いできるかを模索しつつ、

今後は水中戦争遺跡が現地の人々の生活により大きな意味を持つミクロネシア連邦などの太平洋の島国の調査支援を含め、水中の戦争遺跡だけではなく、様々な水中文化遺産の保護へと活動を広げていく予定です。

また私一個人の研究者としても、無事ワクチンの2回接種が終わりましたので、徐々に出来るところから海外からの共同研究依頼を受けて、本来の仕事も再開していこうと考えています。

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