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大都会キエフ。ホロドモールとウクライナ危機。

ウクライナの首都キエフにきていました。

キエフの感想、ただの大都会。

綺麗な街並みには人が溢れていました。そんな街中にも「聖ソフィア大聖堂」や「黄金の門」、「聖ミィハイール黄金ドーム修道院」などがあり、見応えがありました。お勧めは黄金ドーム修道院です。中の装飾が凄い。

キエフに来た目的は博物館。歴史博物館を中心にブラブラしてきました。

リヴィウで友人のタラスから聞いたのはウクライナの歴史。でも歴史というよりは情勢です。

もともとウクライナに来たかったのはチェコ、ポーランドという旧共産圏の国に続き、どうしても旧ソ連の一部であったウクライナを見てみたかったから。親欧州派の住民が住むリヴィウではロシア語の公共放送を禁止していたりと彼らの意見がありました。そしてウクライナ中央に位置する首都キエフも親欧州派という感覚を受けました。本当にキエフは大都会でした。

そんな都会の中に点在する博物館に飾られていた写真はとても生々しいものでした。

皆さんは「ホロドモール」という言葉をご存知でしょうか?グーグルで検索してみてください。ドイツのホロコーストやルワンダの大虐殺などとともに人類史上最悪の歴史の1つとされています。

これは第一次大戦後にソビエト連邦が確立し、スターリン率いるソ連の共産主義実現と外貨獲得のために、肥沃な大地を持ち「ヨーロッパの穀物庫」と呼ばれた現在のウクライナから小麦粉を徴収し、その為大規模な飢餓が起こりました。共産主義国家内で穀物徴収のため引き起こされたこのホロドモールと呼ばれる大飢饉は人工的なものとされ、ウクライナ人が400万人から1200万人(広い地域で起こったため正確な数は分かっていないそうです) も1932年から1933年の2年間で亡くなったとされています。

この犠牲と恨みはロシアに対する「不信感」としてウクライナ人の中に今でも根強く残っているのを感じました。

しかしながら日本の1.6倍の国土を持つウクライナの東側にはロシア系の人々が住み、彼らはロシア語を主言語とし、当然ながら親ロシア派です。

このような状況から記憶にも新しい、親ヨーロッパ派の住民の多い首都キエフで起こった2013年の大規模デモ (ユーロマイダン) と、2014年の親ロシア派の住民の多いウクライナ東部の州クリミアの独立とロシア併合が起こりました。

ユーロマイダンは親ロシア派の大統領の政策に対する親ヨーロッパ派の住民によるデモ。クリミア併合はウクライナ東側の親ロシア派の住民による独立運動。ウクライナは2つの情勢に分かれており、この緊張は未だに続いています。

一見平和で美しいこの街からはそんな空気は感じ取れませんでしたが、博物館の写真ではさっきまで歩いていた大通りや広場を埋め尽くす民衆が写っていました。まだ5年前の写真です。

そしてタラスの話からはロシアに対する不信感が感じ取れました。そしてこれはいまに始まったことではなく、1932年には始まって、現在の続いているのだと。

世界一と言われる肥沃な恵まれた大地を持ち、しかしその為古くから他国の侵略にあい、第二次大戦時には大国ソビエト連邦とドイツに挟まれ戦場となり、冷戦時にはソビエト連邦の一部となったウクライナ。ソ連崩壊後に独立を果たした今でも、西側と左側に挟まれ続けています。それを感じさせないほどこの国の文化は豊かで人々は親切です。

しかし、まだこの国では冷戦は終わっていないのです。日本人の私にとって冷戦は少し遠い場所の事で、過去のものという感覚もありました。ウクライナでは冷戦は形を変えて静かに続いていました。

5日間と短い間でしたけどウクライナを満喫することができました。大好きな国になりました。絶対にまた戻ってきます。

ボロボロのバスに揺られ次の国を目指します。次は南下。モルドバ共和国を目指します。

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