ここで少し趣向を変えて、「錨」(いかり)の考古学を見ていきましょう。
実は水中で古代船や近代船の「錨」が見つかる事例は結構多いのです。現在使われている錨と違い、当時の錨はロープ(縄)で船に繋がれていました。なのでロープが海底に引っかかって切れてしまったり、錨自体が海底に挟まり回収できなくなると、ロープを船上で意図的に切断して出発していました。なので当時の船は沢山のスペアの錨をあらかじめ幾つも船に積んでおり、錨というものはいわば「消耗品」でした。なので港とや湾などの係留地では海底から沢山の錨が見つかることがあるのです。水中考古学では一つの沈没船を見つけられる前に、何十もの錨が見つかることの方が普通なのです。
しかし反対に考えれば、それほど錨というものは古代から船には欠かせないものでした。全ての船が錨を持っていたといっても過言ではありません。さらに錨は石や金属で造られていることも多く、海底が砂地以外の環境では圧倒的に木材よりも残りやすいという長所もあります。なのでもし沈没船遺跡で錨だけが残存している場合で船体が残っていなくても、錨に関する基本的な知識があれば、その形状や素材からいつの時代の船に使われていたかの予想することが出来ます。「錨の知識」は船舶考古学者にとってはとても役に立つものなのです。
なのでここでは皆さんに少し時間を取っていただき、古代から中世の地中海のものに狙いを絞り、一緒に「錨の考古学」を見ていきましょう。
ストーンウェイトアンカー (Stone Weight Anchor)

一番古く一番シンプルな造りなのが「ストーンウェイトアンカー」です。私たちは省略して「ストーンアンカー」ともいいます。石のブロックにロープをくくりつける穴が開いただけのこの錨は、その係留能力を石の重さに頼った造りをしていました。
ウルブルン沈没船遺跡からは24ものストーンウェイトアンカーが見つかっています。ここから当時の船は多くのストーンウェイトアンカーをスペアとして積んでいたいたことがわかります。これらのストーンアンカーはバラストとしての役割を兼ねていたとも考えられています。
ウルブルン沈没船での発見からみても「ストーンウェイトアンカー」が紀元前1300年頃の地中海世界では主流のタイプであったことがわかります。
ストーンコンポジットアンカー (Stone Composite Anchor)

ストーン「ウェイト」アンカーの後に現れたのが、ストーンコンポジットアンカーです。コンポジットとは英語で「組み合わされた」という意味で、少しだけストーンウェイトアンカーよりも発達した構造をしていました。
ストーンコンポジットアンカーにはロープを通すためのメインの穴の他に二つ小さな穴が開いています。これはこの穴に「木の杭」をさして、アンカーが海底に引っかかるようにしたものでした。
ストーンウェイトアンカーとストーンコンポジットアンカーは共に青銅器時代の地中海で既に主流として使われた錨としてみることが出来ました。発掘されたものでは紀元前1300年頃のウルブルン沈没船のものが最古のものになりますが、実際にどれほど前から「ストーンアンカー」(石錨)が使われていたのかはわかっていません。おそらくウルブルン船よりもはるかに古い時代から使用されてきたと考えられています。さらにこの使い勝手の良い安価な2種類のストーンアンカーは小型船では中世中期頃(ビザンティン帝国の時代)まで地中海世界で使い続けられていました。
ウドゥンフックアンカー・ウィズ・ストーンストック (Wooden Hook Anchor with Stone Stock)


紀元前7世紀頃に使用され始めたのが木製のフックアンカーです。その名の通りフックの形をしたアームを有しており、さらに木製のフックアンカーの初期タイプは、木製の錨を沈めるために石のストックを重しとして巻き付けていました。
この石のストックが紀元前7世紀と6世紀の多くの水中沈没船遺跡で発見されており、この頃に多く使われた錨タイプであったと考えられています。
ウドゥンフックアンカー・ウィズ・レッドコアドウッドストック (Wooden Hook Anchor with Lead-Cored Wood Stock)

上で見たストーンストックの木製アンカーとほぼ同時期に現れたのが重い鉛を溶かし入れて固めた木製ストックをもった木製のアンカーでした。
紀元前7世紀頃はその発見数からストーンストックのフックアンカーが主流だったと考えられています。しかしながら徐々にレッドコアドウッドストックの需要が高まり紀元前5世紀頃にはこのタイプが主流となり、紀元前4世紀が終わるころにはほとんどストーンストックの木製フックアンカーは使用されなくなってきたと考えられています。

また、マアガン・ミケル沈没船(紀元前400年頃)のフックアンカーはアームが片方だけのタイプでした。しかしながらアームの先にはトゥース(歯)と呼ばれる金属の爪が備え付けられていました。トゥースが見つかったものではこのマアガン・ミケル沈没船のものが最古になります。そして鉛のコアが入った木製のストック(Lead-Cored-Wood-Stock) は紀元前2世紀に入るまで使用されていたと考えられています。
ウドゥンフックアンカー・ウィズ・フルレッドストック (Wooden Hook Anchor with Full Lead Stock)

紀元前2世紀に入るまでに木製のアンカーストックは「鉛のコアが入った木製のストック」から「100%が鉛の塊でできたストック」へと主流が代わることとなりました。
このフルレッドストックと新しく「カラー」と呼ばれる鉛の補強材をもったこのタイプの錨は、紀元前2世紀から紀元後3世紀まで約500年の間、地中海世界ではスタンダードな錨として使用されました。

イタリアのレミ湖で発掘された 紀元後1世紀の巨大バージ船からは、錨の全長が5m以上、鉛のストックの重さが2トンになる超巨大な木製のフックアンカーが発掘されました。
T-シェイプド・アイロンアンカー(T-Shaped Iron Anchor)

帝政ローマ時代になると鉄製の錨が徐々に主流になっていきました。
最初に鉄製の錨に関する記述が出てきたのは紀元前470年頃の「プラタイアの戦い (Battle of Platae)」に関するものでした。考古学の遺跡から発見されたのは紀元前300年前のイタリア沖のモンテクリスト沈没船(イタリア)が最古のものになります。しかしながら鋳造の難しかった鉄製の錨は紀元後になるまで主流にはなりませんでした。しかし紀元後3世紀頃になると、ほとんどの船が鉄製の錨と木製の錨の両方を併用するようになりました。

実は中世後期になるまで鉄の鍛造をすることが技術的に難しかったので、鉄製の錨はそのサイズは比較的小さいままでした。しかしながら紀元前2世紀頃にストックの取り外しのできるよになった鉄製の錨は、ストックを外した状態で簡単に収納できるようになり、古代後期から中世中期までの船は複数の鉄製錨を積んでいました。そして中型から大型船では複数の鉄錨が同時に使用されたと考えられています。
そして最初に主流となった鉄製の錨がこのT字型でした。紀元前4世紀末から紀元後8世紀頃まではT字型の鉄製が船の錨としては主流だったとされています。
Y-シェイプド・アイロンアンカー (Y-Shaped Iron Anchor)

その後、徐々にT字型に入れ代わり主流となったのがY字型の鉄描でした。このY字型の鉄描は紀元後10世紀までに主流の錨のタイプとなりました。12世紀末までは地中海では主流の錨のタイプでした。
Y字型はとても優れた機能を持った錨でした。Y字型にすることで錨のシャンクと呼ばれる主幹部を短くし、錨としての強度を高めることが出来たのです。
13世紀に入るとヨーロッパで水車を利用した鉄の鍛造が可能となり、私たちのよく知る形の大型の鉄鋲が造られるようになり、このY字型のアンカーは徐々に見られなくなっていきました。
アンカーの各部位の基本名称

まとめ
いかがでしたか?船には必ず搭載されている重要な装具「錨(アンカー)」。錨もまた船と同様に時間をかけてその形を変えていきました。水中遺跡でよく見つかる錨の知識は、水中考古学者にとってとても役に立つものです。
今回は古代と中世の地中海世界で発見された錨に狙いを絞り紹介してきました。最初にも述べた通り、数だけでいえば錨の遺跡数は沈没船の遺跡数をしのいでいると予想されます。もし皆さんが地中海でダイビング中に上で紹介したような奇妙な形の遺物を海底で見つけたら、それは何千年と眠っていた古代の錨なのかもしれません。
さて、次の章からいよいよ北欧の船を見ていきましょう。
<北欧の古代船、ヒョルトスプリング・ボート(紀元前350年頃)とネイダム船(西暦350年頃)>
<参考文献>
BASS, G. F. (1974). A history of seafaring based on underwater archaeology. London, Book Club Associates.
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STEFFY, J. R. (1994). Wooden ship building and the interpretation of shipwrecks. College Station, Texas A & M University Press.