北欧の古代船、ヒョルトスプリング・ボート(紀元前350年頃)とネイダム船(西暦350年頃)

ここからは舞台を北に移し、北欧の船の歴史について見ていきましょう。

地中海ではその船の建造方法が、古代から中世にかけて外板の組み立てを造船工程の核としたシェル・ベース・コンストラクション (Shell-based construction) から、フレームを核としたスケルトン・ベース・コンストラクション (Skeleton-based construction) に移行していきました。

一方、北欧では近代が始まった16世紀初頭までシェル・ベース・コンストラクションが続けて使用されていました。

興味深い点は、北欧のシェル・ベース・コンストラクションが地中海のものとは別の接合方法を使用していたことです。この接合方法は外板の端を合わせる「ラップストレーク接合」といわれるもので、この接合方法で造られた船を「クリンカー・ビルド船」と呼んでいます。クリンカー・ビルド船は北欧のバイキング船の代名詞としても知られています。

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板と板の端を重ねてつなげる方式をラップストレーク、さらに鉄のリベットでラップストレークの外板を組み立てられて造られた船をクリンカービルドと呼びます。(Steffy, 1994)

この章ではそれらバイキング船の祖先となった古代北欧の船をヒョルトスプリング沈没船(紀元前350年頃)とネイダム沈没船(西暦350年頃)を中心に見ていきましょう。

北欧の古代船とヒョルトスプリング・ボート

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北欧の船を描いた紀元前1000年頃の岩絵( from Kalnes, Tune)。(Bass, 1974) (Photo courtesy Jac. Brun, Mittet Foto)
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北欧の諸国でみられる船を描いた岩絵の一例(from Gjerpen, south Norway)。(Bass, 1974) (Illustration by A. E. Christensen)

デンマークやノルウェイ、スウェーデンなどで紀元前1000年頃からボートとボートに乗った人を描写したと思われる岩絵が見つかっています。これら紀元前1000年頃のボートがどの様な素材を使って造られていたかを知るすべはありません。しかしながら、1921年、古代の北欧の船の謎を紐解く鍵がとなる沈没船が発掘されました。それが「ヒョルトスプリング・ボート」です。

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博物館で展示されているヒョルトスプリング・ボート。(Image from : https://en.wikipedia.org/wiki/Hjortspring_boat) (Image courtesy Knud Winckelmann and Nationalmuseet)
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ヒョルトスプリング・ボートの中央部のセクション図。(Steffy, 1994) (Illustration courtesy Rosenberg and Richard Steffy)

ヒョルトスプリング・ボートはデンマーク東部の沿岸部の沼地で発見されました。槍や剣、盾などの武器も一緒に発掘されたことから、この船は古代北欧で戦闘に使われていた船であったと考えられています。

全長は16メートル、最大幅が2.2メートルで、10の漕ぎ座と20本のパドル(パドリング用のオール)も発見されています。船体は5つの外板列から組み立てられています。底部(中央)に弧を描いた(曲がった)中央板と側面に外板が2枚ずつ取り付けられています。これらのことから、この船が側面を拡張した丸木舟 (extended dugout) から進化したばかりの船であったことが判ります。

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北欧のラップストレークと地中海のバットジョイントの対比。(Original Image from: https://en.wikipedia.org/wiki/Carvel_(boat_building)

この船からはすでに「ラップストレーク (lapstrake)」 という、北欧において中世のバイキングの時代を経由して15世紀後半まで使用される外板の接合方法が見られます。ラップストレークとは外板の端と端を重ね合わせて繋ぎ合わせる方法です。

この方法は古代から中世にかけて北欧で使われていました(さらに外板同士の接合に鉄製のボルトとリベットを使って組み立てるラップストレークをクリンカービルドと呼び、北欧中世中期のバイキング船の代名詞になりました)。一方、前章までに私たちが見てきた、古代と中世の地中海で使われていた板の端と端を平らに繋ぎ合わせる方法をバットジョイント (Butt joint) とよび、この方法で組み立てられた船体をカーバルビルトと呼びました。

北欧のラップストレークは15世紀末に地中海のバットジョイントに取って代わられ、近代以降はイギリスや北欧諸国でもカーバルビルトの船が造られていきます。

しかしながら古代と中世のヨーロッパ世界においては、バットジョイント= 地中海の船、ラップストレーク = 北欧の船という認識で間違いはありません。基本的にこのラップストレークの船は外板が造船の核となるシェル・ベース・コンストラクションでした。

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ヒョルトスプリング・ボートの船首部の復元イラスト。(McGrail, 2001) (Illustration courtesy Basil Greenhill)

ヒョルトスプリング・ボートの船首と船尾は上図のような突出した造りになっていました。これはおそらく浜辺に乗り上げる時のランナー(runner: 通索)とよばれるプロテクターの一種か、カットウォーター(cut water: 水切り)と呼ばれる波を切り(避け)ながら進むためのものか、あるいは陸上で船を持ち運ぶときの取っ手の役割をもっていたと考えられています。

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発掘されたヒョルトスプリング・ボートのフレーム部。(McGrail, 2001) (Image courtesy Danish National Museum)
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ヒョルトスプリング・ボートのフレームと外板の接合部のイラスト。外板内側の出っ張りにフレームが紐で結び付けられています。(Greenhill, 1988) (Illustration by Sam Manning)

フレーム(助骨)は非常に軽い造りになっており、材木も柔らかいヘーゼルウッド (Hazel wood) が使われていました。ちなみに外板には丈夫で軽いライムウッド (菩薩木) が使われていました。フレームは全部で10セットが取り付けられており、これらのパドリングボートではフレーム上部に取り付けられていたビーム(梁)が漕ぎ座も役目もはたしていたため、ヒョルトスプリング・ボートには漕ぎ座が10(漕ぎ手が20人)あったことが判ります。

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ヒョルトスプリング・ボートの外板部とフレーム部の拡大イラスト。(Image from: https://www2.rgzm.de/navis/ships/ship006/ Ship006Engl.htm)

フレームは外板内部にある隆起部(外板を切り出すときにこれらの出っ張りを残していました)に彫られた穴を通し、紐で結び付けられていました。またラップストレークの方法で外板の端を重ね合わされだ外板もあけた穴を通して紐でお互いを結びあわされていました。長い船体と細いフレーム、さらにフレームと外板、外板同士を結んで組み立てたヒョルトスプリング・ボートは極めて軽くて柔軟な船であったと推察されます。このように長細い船を意図的に軽く柔軟に造るという選択も、荒れた海を航行できる船の建造上の課題の解決策として有効であったと思われます。

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ヒョルトスプリング・ボートの復元イラスト。(Greenhill, 1988) (Illustration by Sam Manning)

ヒョルトスプリング沈没船はラップストレークの外板を持つ北欧特有の船でした。さらに上の復元イラストから見て取れるように、船の船首と船尾がほぼ同じ形をしていました。この前後が類似の形状を持つ船体をダブル・エンド・ハル (Double-ended hull) とよび、古代と中世を通し北欧の船の特徴の一つとなっています。

ネイダム船

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博物館に展示されているネイダム船。(Image from: https://en.wikipedia.org/wiki/Nydam_Mose

1964年、デンマーク南部のネイダムで西暦350年頃の時代に使われていた「ネイダム船」が発掘されました。これはヒョルトスプリング・ボートから約700年も後の時代の船になります。

ネイダム船を含め多くの考古学上貴重な船が北欧の陸上(昔は沼地や池であったと推察されます)から発掘されています。北欧において多くの船が陸上で発見されている理由として①古代と中世(12世紀以前)の北欧では船を戦いの神への捧物として沈めたり、船を墓として王や豪族と一緒に埋葬する習慣があった、②ピートボグ (peat bog: 泥炭の沼地) と呼ばれる酸性で湿った場所が北欧では多く、地中に埋まった船が現在まで残りやすいという環境があり、早くから陸上の考古学の一部として船の発掘が行なわれてきたことが挙げられます。

一方、地中海では古くから海綿の漁師(海に潜って海綿を採る漁師、スポンジダイバーとも呼ばれています。)によって、また、1960年代からはスポーツやエンターテインメントとしてのダイビングが盛んとなり、彼ら一般のダイビング愛好家によって多くの沈没船が水中で発見されています。なお、最近、北欧でも水中で沈没船が発見されており、水中発掘が盛んに行なわれています。

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ネイダム船の復元イラスト。(Hocker and Ward, 2004) (Illustration courtesy C. Engelhardt)

ネイダム船は全長が23m、最大幅が3.1mで全長と最大幅の比率が7.5:1の細長い櫂船(ガレー船)です。船体はオーク材で造られており、キール(竜骨)、ステム(船首材)、スターンポスト(船尾材)があります。キールの側面に各5つの外板列があり(計11)、外板の厚さは2㎝になっています。

このサイズの船で外板の厚さが2㎝というのはとても薄いように感じますが、これはオーク材がとても重い材料でオールで漕いでも影響が無いように、意図的に軽く薄く外板を造っていたのだと考えられています。

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外板の端は重なっているラップストレークで組み合わされており、この外板同士は鉄製のリベットを使用して留められています。リベットとは鉄鋲(てつびょう)を通し、その体面に鉄の板 (Iron rove) をあて、ハンマーで打ち付け、先端をつぶして固定する留め具です。リベットを使用したラップストレークの船体を「クリンカービルト (Clinker built) 」といいます。クリンカービルトは外側から船体をみると昔の鎧のようにみえるのが特徴で、日本語では「鎧張り」とも訳されています。

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博物館に展示されてるネイダム船の船体内部。フレームが外板内部の突出部に紐で結び付けられているのがみえます。(Image from: https://en.wikipedia.org/wiki/Nydam_Mose)

フレームはリブ (rib) と呼ばれ、一本の材木から切り出したものが使われており、外板のクリート (cleats) という突起部に結び付けられています。外板の端(船体の側面最上部)は手すり (キャップレイル: Cap rail) になるように、他の外板列とは異なった形状をしています。

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ネイダム船の復元図と復元船型図。(Bass, 1974) (Reconstruction by H. Sheteling. Drawing by Fr. Johannesen)

船体中央部のセクション(断面)図をみると、丸みを帯びた船体形状であることがわかります。またキールは4㎝と、他の外板(2㎝)より少しだけ厚くなっており、このような少し分厚い板のようなキールを、キール・プランクといいます。

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ネイダム船から発見されたソールピン。(Hocker and Ward, 2004) (Illustration courtesy C. Engelhardt)

側面の外板上(キャップレイル: caprail)には三角形のソール・ピン(古代地中海のガレー船の章でも登場した、漕ぎ手のオールの力の向きを変えて引く力を漕ぐ力に変える支点。ソール・ピンの機能によりで漕ぎ手が進行方向と逆を向いて座りオールを引くことができるようになりました)が取り付けられていました。ネイダム船は15の漕ぎ座があり、30人の漕ぎ手によって推力を得ていたと考えられています。またマストやマストステップは見つかっていないことから、帆走は行っていなかったとされています。

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ネイダム船の復元再現模型。右舷後方に舵が取り付けられています。(Bass, 1974) (Image courtesy, Nationalmuseet, Copenhagen)

ネイダム船の右舷船尾には舵が取り付けられていました。北欧の船では13世紀に「スターン・ラダー」と呼ばれる船尾中央部に備えられた舵が発明されるまで、この船尾側面に備えられた舵(クォーター・ラダーとよばれています)は必ず右舷に取り付けられていました。そして港などでは積み荷を左から積んでいました。

そのため、昔は「右舷」をステアリング・ボード (steering board)、「左舷」をポート・サイドと呼んでいました。そのうち右舷のステアリング・ボードが訛って現在のように「スター・ボード(starboard: 英語での右舷)」と呼ばれるようになったのです。 ちなみに現在でも飛行機に搭乗するときに飛行機の左側から乗り込むのは、昔の船が港で岸壁に船体の左舷を付けていた名残だといわれています。

まとめ

北欧の船の歴史をめぐる旅が始まりました。北欧の船は地中海の船とは違異なる工法で造られていたことが判っていただけたことでしょう。

私も個人的に北欧の船は大好きで、何度か学期末の研究テーマに選びました。歴史上の船に魅了されるの大きな理由・要因の一つが「見た目の美しさ」にあります。ラップストレークの外板はとても美しい外見をしています。

次の章ではより美しいラップストレークの船が登場し、バイキング船の船としての機能美もみえてきます。次は中世初期の北欧の船、バイキングの時代直前の船の遺跡を見ていきましょう。

<中世北欧、イギリスのサトン・フー船葬墓(西暦600年頃)とノルウェーのクヴァルスンド船 (西暦700年頃)>

<参考文献>

BASS, G. F. (1974). A History of Seafaring Based on Underwater Archaeology. London, Book Club Associates.

HOCKER, F. M. and WARD, C. (2004). The philosophy of shipbuilding: conceptual approaches to the study of wooden ships. College Station, Tex, Texas A & M Univ. Press

GREENHILL, B. (1988). The evolution of the wooden ship. Caldwell, N.J., Blackburn

MCGRAIL, S. (2001). Boats of the World: from the Stone Age to Medieval Times. Oxford, Oxford University Press.

STEFFY, J. R. (1994). Wooden Ship Building and the Interpretation of Shipwrecks. College Station, Texas A & M University Press.

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