コンバージング・ザ・ワールド・プロジェクト
(Converging the World Project),
プロジェクトディレクター:ニコラス・バスバーグ(Nicholas Budsberg),
チャールズ・ベンディック(Charles Bendig)
場所:ハイボーン・キー(Highbourne Cay, the Bahamas)

2017年8月にバハマでの水中発掘調査に参加しました。バハマはカリブ海の東側に位置し、大西洋からカリブ海に入るための入り口となる、美しい島々からなる観光大国です。
発掘場所は「ハイボーン・キー」というバハマの首都があるナサウ島から小型プロペラ飛行機で45分ほどの小さな島でした。今回発掘した沈没船はその発見場所からハイボーン・キー沈没船と呼ばれ、1980年代にテキサス農工大学によってその一部の発掘調査が行われています。
今回はそれから30年ほどが経ち、改めてフォトグラメトリーなどの新しい技術を用い沈没船全体の発掘調査を行うというものでした。このハイボーン・キー沈没船は、発見された銃器の種類などから、1520年代に沈んだスペインの船ということが判っています。
アメリカ大陸は1492年にコロンブスによって発見されました。今回のこの沈没船はそれから30年足らず後の、新世界で発見されたヨーロッパ船の中では極めて初期の船になります。
さらに16世紀はスペインとポルトガル国内で造船技術が次第に統一され、船の設計図が正式に書かれ始めた時代になります。すなわち「沈没船」という考古学的資料の他に、船の設計図という歴史的資料が現れてきた時代なのです。
16世紀に書かれ始めた船の設計図がいかに正確なものだったかなどを、このハイボーン・キー沈没船を詳しく調査することによって裏付けることが出来るのです。またその設計だけではなくその細かな造船技術など、この沈没船は大航海時代初期の船の構造を調査することのできる貴重な考古学的資料なのです。

プロジェクトは2017年6月~8月まで3ヶ月続きました。私もはじめから参加したかったのですが、6月にギリシャ、7月グアム、8月後半にコロンビアと別のプロジェクトが続いていたため、バハマに行くことができたのは8月前半の3週間だけでした。
バハマはアメリカのフロリダ州のすぐ南にあり、アメリカの観光地となっています。感覚として「アメリカにとってのバハマ」は、「日本にとってのグアム」に近いものがあると思います。



発掘を行ったハイボーン・キーはサンゴ礁がベースとなってできた小さな島で、そこに行くには近くの島にチャーターしたセスナ機で飛んで、そこからモーターボートで移動するか、ハイボーン・キーを含む離島に食料品などを運ぶ1週間に一度の定期船に乗せてもらって7時間かけて行くしかありません。
しかしこのハイボーン・キーは隔離された自然の残る島などではなく、島にある小さなヨットハーバーに停泊してこの島の砂浜を楽しみにくる億万長者の集まる島なのです。そのため、島の砂浜は住み込みで働くバハマ人によって常にきれいに整備されており、まさにこの世の天国というような島でした。観光客は基本的に少なく、全ての美しいビーチは貸し切り状態。そんな場所で3週間友人たちと寝泊まりしながら発掘調査を行ないました。
よく水中考古学者仲間から、いままで行った中で一番きれいだった砂浜は何処だったか聞かれることがあります。砂浜の綺麗さだけだったらこのハイボーン・キー島が一番でしょう。


このプロジェクトは今までのものとは少し様子の違うものでした。プロジェクトリーダーのニック(ニコラス・バスバーグ)とチャールズ(チャールズ・ベンディック)は、私が卒業後も特別研究員として所属するテキサス農工大学の沈没船復元再構築研究室(J. Richard Steffy Ship Reconstruction Laboratory: ShipLAB) の現役の博士課程の学生達で、私がテキサス農工大学に在学していたときから仲良くしていた友人です。
今回はその仲良しの友人からの依頼ということもあり、忙しい夏のシーズンに無理やり予定を3週間こじ開けて参加してきました。このプロジェクトと従来のものと異なる点は、リーダーのニックとチャールズにとっては初めての指揮をとるもので、その他の参加者たちも多くはテキサス農工大学や他の大学から有志として集まった大学院生だったということです。つまり参加人数が多かった割に参加した考古学者の平均年齢が27歳程度というとても若いプロジェクトでした。

ほとんどの参加者にとって発掘調査が初めてか2回目という特殊な状況で、その当初の計画は最初の1ヶ月目(6月)に発掘の準備、2ヶ月目(7月)に発掘、そして3ヶ月目(8月)に沈没船の引き上げという状況でした。私が到着したのは3ヶ月目だったので、計画通りいけば船体の上にあるバラスト(船の重りとして使われた岩)と砂は取り除かれているはずだったのですが、到着してビックリ、まだ発掘が始まっていませんでした。
沈没船の水中発掘を開始するにあたって、本来まず最初にしなければならないのがローカルな座標を沈没船を中心に設定することです。沈没船を中心に座標を設定し、それに伴って水中発掘を行い発見された船体と遺物の正確な位置を記録し、後にこれらのデータをまとめて遺跡の精確な実測図を作成するのです。フォトグラメトリーを使用する場合でもこの点は同じです。
しかし今回は海底が岩場なのと発掘現場での潮の流れが強かったことで、この作業に3週間もかかっていたとのことでした。また作業経験豊富な考古学者が一人もいなかったのも作業の遅れた原因でした。


結局、私が到着したのちに2日をかけてローカル座標を水中で設定し、8月にはいってからようやく水中発掘が始まりました。発掘自体は予定より結局1ヶ月も送れたため水中記録作業は私が一人で担当しつつ、他の人員を水中発掘に動員しました。しかし時間が足りず、当初予定していた船体の引き上げは行えませんでした。(もともと3ヶ月で水中発掘と船体の引き上げを行なうという計画には無理があったのですが、これもニックにとって最初のプロジェクトだったので、とりあえず彼の指示の下、やれるところまでやってみようということでした)。結局、船体の引き上げは次の2019年のシーズンを待つことになりました(2018年に予算を集めて、2019年の夏に船体の調査と引き上げ予定)。
いざ水中発掘を進めてみると1980年代の調査によってわかっていた範囲よりも広いエリアに船体が残っており、学術的にかなり実りのあるプロジェクトになりました。現在では北アメリカで最も注目されている発掘調査の一つになっています。


このプロジェクトは私にとって、別の意味でもとても楽しいものになりました。まずニックや何人かの水中考古学者はテキサス農工大学時代からの仲のいい友人であり、彼らと生活を共にしながらの発掘はとてもリラックスできるものでした。

他にもこの発掘にはニックをはじめ、プロジェクト主要メンバーの何人もが奥さんや婚約者を連れてきており(実は海外の発掘ではよくあることなのです)、さらに他のメンバーも20代半ばと非常に若く、海外での水中発掘調査が初めてで、変に浮かれる者が多く、至るところで男女の問題が起こっていました。今となっては笑い話ですが、当事者たちはかなりストレスを溜めていたようでした。
私は一度もこのような男女間のいざこざに巻き込まれたことはないので(単純にモテないだけ)、毎晩男性メンバーの愚痴を聞きながら一緒にお酒を飲んで慰めるといった状況でした。
このような「人間関係」も水中考古学の現地調査の醍醐味といったらそれまでなのでしょう。水中考古学には「エクスカベーション・シンドローム(発掘症)」なる言葉が存在します。これは「スキー場では3割増しで可愛く(格好良く)みえる」という現象に近いもので、現地で共同作業しながらの発掘では、恋に落ちるメンバーが続出して男女カップルが出来やすいというものです。これらのカップルの9割が発掘後(我に戻って)別れています。
バハマでは発掘経験の少ない若い考古学者(大学院生)が多く、至るところで問題が起きていました。気が付いたら泣いているメンバーや浮かれているメンバーがいて、事情を聞いたら色々なことが起きていたようです。
私には「エクスカベーション・シンドローム」に罹ったことも、誰かにかけたことも今まで一度もありません。謎です。
次の発掘プロジェクト
アドリアス・プロジェクト(クロアチア:2016年・2017年)