四大古代文明の一つ「エジプト」。古代エジプト文明とそこで暮らす人々の生活は、豊かな生命をもたらすナイル川とは切り離せないものでした。ナイル川と共に発展してきた古代エジプト文明。そこではどの様な船が使われてきたのでしょうか。
「船の考古学」をめぐる旅の第一歩は「古代エジプトの船」です。ここではナイル川で使われていた小船から、クフ王のピラミッドに埋葬された王の船までを見ていきましょう。
先王朝時代
三日月型 (紀元前4000年~紀元前3100年頃)




船に関して初めて考古学的資料が出てくる時期は紀元前3500年頃になります。これらの資料としては、さすがに当時の船体の遺跡などは存在せず、発掘された壺や織物などに描かれた船の描写に留まります。
紀元前3000年頃までの壺に描かれていた船の絵において重要なことは、すでにパドル(オール)の描写があるということです。このページの一番下の図でわかるのが、パドルを漕ぐ人が船の前方(進行方向)を向いていることです。このことにより当時の船の推進力がrowing(進行方向とは反対を向いて、テコの原理で推進力を得る漕ぎ方)ではなく、paddlingによって得られていることがわかります。上の資料に描かれている船は研究者の間では三日月型(Crescentic Vessel)と呼ばれています。
パピラス型(紀元前4000年~紀元前3100年頃)



三日月形の船と同時代に使われていた船に「パピラス型(Papyriform vessel)」と呼ばれるものがあります。パピラス(Papyrus)といわれる古代エジプトで紙の原料として使われていた植物の繊維を紡ぎ合わせてつくった筏がその起源だったと考えられています。(因みに、水中考古学者は使用した材料の軽さ(質量の小ささ)で浮くものを「筏」、船体内部を空洞にして、排水量で浮くものを「船」と定義しています。)

その後、この筏のように船首部分が上を向いて突き出した形の「木造船」も作られています。この船型がナイルの船の「伝統」となったと推察されます。考古学者の間では、このように船首が上を向いて突出している形をした船を「パピラス型」と呼ぶようになりました。後にご紹介するクフ王の船も船首部分が縦方向に突出しており、代表的なパピラス型の木造船と考えられております。

上の図は紀元前3500年頃から紀元前3100年頃、古代エジプト先王朝時代後期のゲルゼ時代のものとされている象牙を彫ってつくった短刀の柄です。中央部分にパピラス型、下部に三日月型の船がかかれており、この2種類の船は同じ時代に使われていたと考察されます。このようにパピラス型と三日月型が一緒に描写されている歴史的資料は他にもいくつか発見されています。
王朝時代
アビドス船遺跡 (紀元前2800年頃)

1991年、アビドスにあるエジプト第2王朝のファラオ「カセケムイ(Khasekhemwy)」の墓の隣から12隻の船が発見されました。(2000年にさらに2隻見つかりました。)これらの木造船は、後の研究によって、カセケムイの墓が建造される以前に埋葬されたものだとわかったのです。これらは、この船のために煉瓦で造られた墓「ボートの墓」に埋葬されており、世界最古の木造船の遺跡とされています。「ボートの墓」はカセケムイ王の墓より以前に建造されたことがわかっており、研究者の間では第1王朝時代の第3代王のジェル(Djer)の死後のために用意された船であると考えられています。その時代は紀元前2800年頃のものとされます。

このアビドスの木造船は長さが22.9m、幅2.1mから2.5m、深さ0.6mでTamarix(タマリクス)という木で作られています。厚みのある外板の板からはモーティス(ほぞ穴)が見つかっており、さらに外板の内側には斜めにあけられた穴が空いています。この穴に縄を通して外板同士を結び合わせていたと考えられます。この手法と同種の造船技術は後にご紹介するクフ王の船で使用されていますので、その項目で詳しく説明します。
ここで注目すべき点は、外板の内側にフレーム(助骨)などが使われていないことです。外板同士を繋ぎ合わせてつくるため、外板部分が造船工程の核となっており、先にフレームを立ててそこに外板を貼り合わせる現代の船の建造手順とは逆になっていることです。
船舶考古学では、このような古代船の造船技術を「シェル・ファースト」と、最初にフレームを立てる現代の造船方法を「スケルトン・ファースト」と呼んでいます。これについては別の章で詳しく説明します。
クフ王の船(太陽の船)(紀元前2500年頃)


1952年にギザにあるクフ王のピラミッドの隣(地下)からボート用のチェンバー(棺)が5つ見つかりました。(そのうち3つは空でした。現在クフ王の船は第1の船と第2の船の二つをさします)。1954年に一つ目の棺が空けられ、1955年から1957年にかけて中の木材が運び出され、1974年までにそれらの木材が再び船に組み立てられ復元されました。現在、このクフ王の船は1982年に発見された王の棺の上に建造された博物館で一般公開されています。
クフ王は第4王朝の第2代王で、紀元前2589年から紀元前2566年までエジプトを統治していました。



発見当時、船は意図的に分解された状態でした。つまりは船は完成した形ではなく、部材を組み立てる前の状態で埋葬されていたのです。さらにこれらの部材にはつなぎ合わせる場所同士に絵(シンボル)で説明が施されていたのです。木材の数は1,224にのぼり、そこに650のシンボルが組み立て時の指示用に示されていました。
船体は95%がレバノン杉(Lebanese Cedar)でできており、デッキ(甲板)とキャビンの一部にアカシアが使われていました。全長は43.63m、(1番広い部分の)幅が5.66m、重さが約39トンになります。
船首が縦に突出し、全体的にゆりかごの様に曲がった形をしており、パピラス型の船であることがわかります。

船体は3枚の底板と5枚の横板(計13枚)の外板からつくられ、各外板が12センチ~15センチの厚みを持っています。これらの板は斜めに開けられた穴を通した縄によって繋ぎ合わされていました。
船体にキール(竜骨)は見られません。多くのビーム(梁)が使われており、中央部のセントラル・シェルフ(Central Shelf)と端のサイド・シェルフ(Side Shelves)によって補強されていました。セントラル・シェルフ(Central Shelf)はスタンション(支柱)で下から支えられています。また12のフレーム(助骨)が見つかっていますが、これはとても単純で軽い造りになっており、現代の船のフレーム(助骨)のように船を形作るほどの強度はありませんでした。


クフ王の船からマストや帆は見つかっておらず、12個の大きなパドル(オール)が発見されています。しかしこれらのパドル(オール)は巨大すぎて漕ぐため使用することは困難であり、航行の際には「舵を取る」ために使われたと考えられます。これらのことからクフ王の船は自力で進むことのできる能力はなく、他の船などに牽引されて使用される「バージ船」であったと考えられています。
まとめ
いかがでしたか。古代エジプト文明ではいろいろな形をした船がナイル川に登場し使われていました。その後、船はファラオの墓やピラミッドと共に埋葬されるなど、実際に運航される船としての実用性の他に宗教的な意味も持った、古代エジプト文明にとって非常に重要なものとなっていったのです。
紀元前2500年頃のクフ王の船を皮切りに、その後の時代の遺跡から様々なレリーフ画や埋葬船が発見されるようになり、徐々に古代エジプト文明で船がどの様に造られていたかが詳しく判るようになりました。
次は、古代エジプト文明の造船技術に焦点をあて、紀元前2400年頃から紀元前1450年頃までの古代エジプトの船を見ていきましょう。
<古代エジプトの造船技術>
<参考文献>
BASS, G. F. (1974). A history of seafaring based on underwater archaeology. London, Book Club Associates.
JENKINS, N. (1980). The boat beneath the pyramid: King Cheops’ royal ship. New York, Holt, Rinehart and Winston.
LANDSTRÖM, B. (1970). Ships of the Pharaohs: 4000 years of Egyptian Shipbuilding. London, Allen & Unwin.
STEFFY, J. R. (1994). Wooden ship building and the interpretation of shipwrecks. College Station, Texas A & M University Press.