
現在のギリシアとトルコの間に位置するエーゲ海には多くの島があり、古代から様々な文化(文明)が繁栄してきました。ここではの紀元前3100年頃(前期青銅器時代)から紀元前1050年頃(後期青銅器時代)までのエーゲ海の船についてみていきましょう。
ナクソス島(キクラデス文化)の鉛製のボートモデル(紀元前3000年頃)

キクラデス諸島の中央に位置するナクソス島の約3000年前の遺跡から3つの鉛で出来た人工のモデルが発見されました。研究者の間ではこのモデルはカヌー(丸木舟)を模したものではないかと考えられています。
キクラデス文化の「フライパン」(紀元前2200年頃)

紀元前3000年頃から紀元前2000年頃までエーゲ海中央に位置するキクラデス諸島で栄えたキクラデス文化(文明)。その遺跡から幾つも(現在までに約200個)発掘されている通称「フライパン」と呼ばれている土器があります。その形からこれらの土器はそう呼ばれていますが、研究者の間では子孫繁栄を願った祭儀であったと考えられています。このフライパンの多くに、海に浮かぶ船が描かれています。

このフライパンに描かれてる船に共通した特徴として、背の低く長い船体、上方に曲線を描きながら突出した船首、船尾が水平方向に少し突出している、漕ぐためのオールが描かれており帆の描写はない、などが挙げられます。
ミノア文明の粘土模型(紀元前2200年頃)

キクラデス文明の栄えたキクラデス諸島の南方にはミノア文明の栄えたクレタ島があります。このミノア文明の遺跡からは同じ時期の遺跡から発見されたフライパンの船の描写に似た粘土模型が見つかっています。この船は漕ぎ手の漕ぎ座となるビーム(梁)が二つしかみられないので、小型の船を模した粘土模型であったと考えられています。
ミノア文明の石印(紀元前2000年頃から紀元前1400年頃)


ミノア文明の遺跡から発掘された石印には当時のものと思われる船の描写が見てとれます。これらの船はキクラデス文化やミノア文明の粘土模型のように船首が上方に突出しており、オールが見てとれます。さらに船尾からは水平方向への突出した部位が見てとれます。またこれらの石印の船にはマストが描かれており、この頃にはエジプトから帆を使用する技術が伝わっていたと考えられます。
アクロティリの壁画・ミノア文明の船、テーラ島のフレスコ画 (紀元前1600年頃)


観光地として有名なキクラテス諸島の南部の島であるサントリーニ島は古代エーゲ海ではテーラ島と呼ばれていました。サントリーニ島とその隣の島を一つの地形としてみると、その中心部が窪んで海になっている地形だということがわかります。この窪んだ部分は火山の噴火によって形成されたカルデラであり、このテーラ島の火山は紀元前1600年頃に大噴火したことがわかっています。この噴火によって元のテーラ島の中心部は現在は水深360mまで沈み、その他の地上に残った部分も4.5mの灰と24.4mの軽石などの岩石の下に埋まってしまいました。まさに古代エーゲ海の「ポンペイ」、アトランティス伝説のもとになったのではないかとも思われるような悲劇の場所だったのです。この噴火によって多くの町や村が壊滅し地中に埋もれてしまいました。

地中に埋もれた町の一つであるアクロティリの発掘が進み、その家の一つから当時の船が描かれた美しいフレスコ画が発見されました。テーラ島の南部に位置したアクロティリはテーラ島の火山が噴火した紀元前1600年頃にはミノア文明圏の港町であったと考えられています。すなわちアクロティリのフレスコ画から当時のミノア文明の船について知ることが出来ます。


このフレスコ画の描写の中で、町の人々が海上の船の方を眺めていることがわかります。さらにほとんどの船に装飾がほどこされていて、船乗りと漕ぎ手の他に様々な有力者であろう階級の人々がキャビンに座っているのが見えます。そして船の最後部には玉座が取り付けられ、王族であろう人物が座っています。海の周りに描かれた植物や動物の様子から、このフレスコ画は春の訪れを祝う祭儀を描写したものであったと考えています。

興味深い点はフレスコ画の描写には3種類の推進方法を使った船が描かれているところです。一つめがパドリング・ボート、船の横から漕ぎ手が上半身を乗り出しパドルを使って水をかいて推進力を得ています。2つめがローイング・ボートです(一つ目のフレスコ画の写真の中央下部)英語で記述するとパドリングがPaddling、ローイングがRowingになります。パドリングは漕ぎ手が進行方向を向き、比較的長さの短いパドルを使用して推進力を得ます。ローイングは漕ぎ手が進行方向とは逆を向き、手すりにパドルより長いオールを固定し、座った状態でテコの原理を使い、引く力を使って推進力を得ます。船の推進力を得る技法としてはローイングの方がパドリングよりも進んでいて、パドリングが古い技術、ローイングが新しい技術とされています。

そして第3の技術が3つ目の写真の右側の船に見られるセイリング(帆走)です。この帆にはヤードとブームがリフトを使って取り付けられており、そのマストと帆の形状もエジプトで使用されていたものと極めてよく似ています。古代エーゲ海文明の都市と古代エジプトは海上交易をおこなっていたので、おそらくこの帆の技術は古代エジプトから伝わったものと考えられます。3種類のどの船でも、船尾付近に長いオールを持った舵手が舵をとっています。
さらに興味深い点は3種類の推進方法の船の中で、パドリングボートだけに装飾を施してあるところです。パドリングボートの船尾近くにはイクリア(Ikria)と呼ばれる玉座が取り付けられており、さらに船尾にはキクラデス文化やミノア文明の初期と中期の石印に見られる突起が見てとれます。このイクリアと船尾の突起はロープのようなもので取り付けてあるように描写されています。これらの部位はローイングボートとセイリングボートにはみられないため、イクリアはこの祭儀のために一時的に取り付けられたと考えられます。さらにパドリングボートの船首には花は蝶をかたどった装飾が取り付けられており客室を構造するキャビンやマストにも飾り付けが施されています。
フレスコ画に描かれたこれらの描写から研究者は次のように考察しています。
「このフレスコ画は、春の訪れを祝う祭儀(春祭り)の様子を描写したもので、船はクレタ島からテーラ島へ向かう船団を描いている。船の多くはこの祭りのために意図的にローイングとセイリングではなく、パドリングを使用し、船尾に突起物を取り付けることによって「伝統的な船」の姿を再現している。さらに船全体を春様式に着飾らせることによって新たな春の季節を祝い、五穀豊穣を祈っている。」
私自身もこれはとても興味深い仮説だとおもっています。日本の祭りや正月にも和服を着て伝統的な飾りを家に置いて祝うように、世界中で行なわれている祭りや宗教的な祭儀では意図的に伝統的な(古い)習わしを再現して祝いごとを行ないます。このテーラ島のフレスコ画はそんな古代の海の祭りを私たちに伝えてくれているのかもしれません。
まとめ
ここで私たちが見てきた船の描写は、古代ギリシャ文明よりもさらに古い、神話の中で語られてきた時代のものです。そのような世界においても、船は人々の生活の重要な構成要素であったことが垣間見えたのではないでしょうか。
ここまでは遺跡から発見された、船をかたどった道具や祭具、壁画等に描かれた船の絵を通じて古代の船を展望してきました。次はいよいよ水中考古学の醍醐味である「沈没船遺跡」から古代地中海世界の海上貿易の様子と古代の造船技術をみていきましょう。
1960年に水中「考古学」として最初の水中発掘調査が行なわれたケープ・ゲラドニア沈没船(紀元前1200年頃)からはじめます。
<水中考古学の夜明け、ケープ・ゲラドニア沈没船>
<参考文献>
WACHSMANN, S. (2009). Seagoing ships & seamanship in the Bronze Age Levant. College Station, Texas A & M University Press