中世地中海の船、東ローマ帝国イェニカピ港の沈没船遺跡群(西暦900年~西暦950年頃)

ここでは2005年にトルコのイスタンブールで地下鉄の工事中に発見された「イェニカピの沈没船遺跡群」を主体に、中世中期における東ローマ帝国の造船技術の変化を見ていきましょう。

中世中期の東ローマ帝国(ビザンティン帝国)

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9世紀(西暦800年~900年)の東ローマ帝国(ビザンティン帝国)船の描写。ギリシャ正教会の僧侶がラティーンセイルを備えた船に乗っています。(Bass, 1974) (Image from: The Sermons of St Gregory of Nazianzus c.880. MS grec 510, f.367v. Bibliotheque Nationale, Paris)

前章で、中世初期に西ローマ帝国が滅亡した後に文化的停滞がヨーロッパ全土で発生し(俗にいう暗黒時代の到来)、著述や芸術作品から当時の船の様子を推察することが難しくなったと述べました。

このことは中世中期(ここでは西暦630年頃~西暦1100年頃)にも当てはまることです。発見される描写は数が少なく、かつ極めて簡略的であり、そこから当時の船の様子を理解することは難しくなっています。

一方で、中世中期に入ると、戦闘用の船に限っては徐々に武器や戦術に関しての記述が現れてきます。しかしながら造船技術に関するものは皆無で、沈没船などの考古学的資料以外からは、当時、船がどの様に造られていたかを知ることはできないのです。

イスタンブール「イェニカピ港遺跡の沈没船群」

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西暦1422年頃のコンスタンティノープル。このイラストが現存するもので最古のコンスタンティノープルの地図になります。緑色の場所が現在のイェニカピで、当時のセオドシアン港 (Theodosian Harbour)がありました。 (Kocabas, 2015) (Original image from: Urbis Constantinopolitanae Delineatio (Two Romes: Rome and Constantinople in Late Antiquity))

そんな中で2005年に当時の東ローマ帝国(ビザンティン帝国)の首都であった現在のイスタンブールで、地下鉄の駅の建設工事中に当時の港の遺跡が見つかり、そこから32隻もの沈没船が発見されました。

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イェニカピの空撮写真。肌色の部分がイェニカピ港遺跡(地下鉄の工事現場)になります。(Kocabas, 2015) (Image courtesy Istanbul Metropolitan Municipality)
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イェニカピ港遺跡の簡略図と発見された沈没船の位置。(Kocabas, 2015) (Image courtesy: IU Yenikapı Shipwrecks Project Archive)

イェニカピには中世の時代、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルのセオドシアン港 (Theodosian Harbour) があり、その時代に港の湾内で沈んだり、破棄された船が約1000年ぶりに姿を表したのです。このイェニカピ港遺跡はまずその沈没船の発見数からみても特別な場所であり、さらに陸上の遺跡ということで水中発掘の時間制限にとらわれることもなく発掘が行われました。

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イェニカピ沈没船群の発掘現場。写真の沈没船では当時の港に使われていた木の杭が沈没船を貫いているのがみえます。(Pulak et al., 2015) (Photo by Michael Jones)

現在は全ての発掘が終わり、その場所には地下鉄の駅が立ち、発掘された船の保存処理と分析が現在進行形で行われています。発掘は地下鉄の工事を一時中断して行われたもので、発掘作業を捗らせるために32隻の沈没船をいくつかの研究機関に振り分けられました。そのうち8隻をテキサス農工大学のジュマール・プラーク博士の研究室が担当しました。

まだ研究の途中ながら、プラーク博士と彼の助手の手によって、中世中期の東ローマ帝国(ビザンティン帝国)の船がどの様に造られていたかが見えてきたのです。今回はイェニカピ港遺跡から発掘された沈没船の中から4隻の船とそこから見えてきた当時の造船技術について一緒に見ていきましょう。

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テキサス農工大学のプラーク博士のチームが発掘したイェニカピの沈没船。図の色分けは船体に使用された木材の種類によって分けられています。(Pulak et al., 2015) (Image courtesy Cemal Pulak and Sheila Matthews)

イェニカピ沈没船2号(ガレー船:西暦900年頃)

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イェニカピ沈没船2号の実測図。(Pulak et al., 2015) (Drawing by Sheila Matthews)

イェニカピ沈没船2号は発見時の残存部分の長さが約14メートル、残存部分の船体から考察して当時の全長が約30メートであり、戦闘用のガレー船として使われていたと考えられています。

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イェニカピ沈没船2号の発掘現場。(Pulak et al., 2015) (Photo by Sheila Matthews. Image courtesy Institute of Nautical Archaeology)

船体の側面部が残っており、上の写真の手前側で直立している木材はガレー船の漕ぎ座です。漕ぎ座によって船体が半分しか残っていなくてもその長さから船の幅が推察できるのです。

ガレー船は、商船であるラウンドシップよりスピードを重視した造りであるため、フレームが同時代の商船(ラウンドシップ)よりも小さくなっているのも特徴です。

外板に使われている板は商船(ラウンドシップ)のそれより相当に長く切り出されています(2号船の中には12メートルを超えるものもありました)。長い板を使用し外板列のつなぎ目を少なくすることによって、細長い船体に起こるホッギングとサッギングの影響を軽減することを意図したものと考えられます。

イェニカピ沈没船4号(ガレー船:西暦920年頃)

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イェニカピ沈没船4号の実測図。(Pulak et al., 2015) (Drawing by Sheila Matthews)
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イェニカピ沈没船4号の発掘現場。(Pulak et al., 2015) (Photo by Michael Jones. Image courtesy Institute of Nautical Archaeology)

残存部分が約18メートルの4号船も全長約30メートルのガレー船だったと考えられています。この4号船は2号船よりも保存状態がよく、当時のガレー船がどの様に造られていたかが判ってきました。

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イェニカピ沈没船4号の船体内部側面。漕ぎ座のスルービームとオールホールが見えます。(Pulak et al., 2015) (Photo by Michael Jones. Image courtesy Institute of Nautical Archaeology)

4号船では上部の手すりの位置まで船体が保存されていました。船体側面には漕ぎ座(スルービーム)が取り付けられていた穴と、その斜め上部にはオールを通す穴が空いており、当時のガレー船の漕ぎ手の間隔もみえてきました。

発掘されたイェニカピ沈没船4号のオールホール。(Pulak et al., 2015) (Photo by Rebecca Ingram. Image courtesy Institute of Nautical Archaeology)

興味深いのは、オール穴の片方が窪んでいたところです。これは進行方向とは逆に座った漕ぎ手のオールの支点がこの窪みになっているからで、ここから窪んだ方が船首、窪んでない方が船尾であったことが判るのです。(ガレー船は船首と船尾が似た形になっている造りのものが多く、オール穴の窪みが沈没船遺跡の状況を理解するうえで極めて有益な情報になります。)

東ローマ帝国のドロモン(ガレー船)

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11世紀(西暦1000年~1100年)頃の東ローマ帝国(ビザンティン帝国)のドロモンによる海戦の描写。(Morrison, 1995) (Image from: MS of the Cynegetica of Pseudo-Oppian. Note the pavesade with a row of shield. Biblioteca Marciana, Venice, Cod Gr 479, fol 23r)

東ローマ帝国(ビザンティン帝国)において、ガレー船は「ドロモン (dromons) 」と呼ばれていました。以前に見た古代ギリシャのトライリムと異なり、漕ぎ座は1段のみになっています。また、丸みを帯びた船首を有しており、古代のガレー船に見られた「ラム」は無くなっています。

イェニカピ沈没船5号(ラウンドシップ:西暦950年頃)

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イェニカピ沈没船5号の実測図。(Pulak et al., 2015) (Drawing by Sheila Matthews)

5号船は残存部分が12メートル、当時の全長が14.5メートル、最大幅が5メートルほどのラウンドシップでした。

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イェニカピ沈没船5号の発掘現場。(Pulak et al., 2015) (Photo by Sheila Matthews. Image courtesy Institute of Nautical Archaeology)

5号船の特徴は、その非常に平たい船底にあります。このような船は極めて多くの積荷を運ぶことができ、また喫水(船体の水面下の部分)が小さいため、浅い場所でも運用できます。その反面、帆走時に横からの風に弱く(横滑りをしてしまう)、波が荒いとその影響も受けやすくなってしまいます。

そのため、このような船底が平らな「フラットボトム船」は古代から川や潟で頻繁に使われてきました。イェニカピ沈没船5号も外洋ではなく、沿岸部や川で使われていたと考えられます。

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イェニカピ沈没船5号の3D実測図。(Pulak et al., 2015) (Drawing by Sheila Matthews)

イェニカピ沈没船1号(ラウンドシップ:西暦950年頃)

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イェニカピ沈没船1号の実測図。(Pulak et al., 2015) (Drawing by Sheila Matthews)

イェニカピ沈没船1号は残存部分の長さが6.5メートル、当時は全長約10メートルのラウンドシップであったと考えられています。

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イェニカピ沈没船1号の発掘現場。(Pulak et al., 2015) (Photo by Michael Jones. Image courtesy Institute of Nautical Archaeology)
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イェニカピ沈没船1号で見つかった木材の種類の違い。(Pulak et al., 2015) (Image courtesy Cemal Pulak and Sheila Matthews)

興味深いことは、1号船ではフレームの形や外板部に使われている木材の一部が他の部分のそれと異なっている点です。同様な沈没船は他の時代や地域からも発見されています。これは建造時から沈没にまでの間に船体の修理や改修が何回も行われていたことを示しています。このような船は、極めて長い年月、運行に供されていたことが判ります。

イェニカピ沈没船群の外板接合の方法

イェニカピ港遺跡の沈没船群からは32隻の沈没船が発見されています。その時代は西暦500年から西暦1000年頃までのものになります。内、西暦700年頃までの沈没船では(ヤシ・アダ七世紀沈没船のような)ペグの無いモーティス・アンド・テノン接合が使われていました。しかし西暦700年頃より後の年代の船から新しい接合がみられます。

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イェニカピ沈没船14号の外板部にみられるコーク (Coak: あわせ釘) を使用した外板接合。イェニカピ沈没船群のほとんどの船でコークを使用した外板接合が使われていました。(Pulak et al., 2015) (Photo by Michael Jones. Image courtesy Institute of Nautical Archaeology)
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イェニカピ沈没船14号から発見されたコークと呼ばれる接合の部品(あわせ釘)。他のイェニカピ沈没船からもコークが見つかっています。(Pulak et al., 2015) (Photo by Michael Jones. Image courtesy Institute of Nautical Archaeology)

これまでは外板接合には小さな木の板「テノン」が使われていました。しかし西暦700年頃から「コーク(coak: またはドウェル (dowel) )」といわれる木の棒(あわせ釘)がテノンの代わりに使われるようになりました。コークを使用することによって、モーティスを彫る手間を省くことが出来ます。コークは少なくとも西暦900年頃までには完全にモーティス・アンド・テノン接合に取って代わりました。

古代船のシェル・ベース・コンストラクションにおける外板接合の進化

ここではウルブルン沈没船(紀元前1300年頃)からイェニカピ沈没船群(西暦900年頃)に至るまでの外板接合におけるモーティス・アンド・テノンの2200年間の進化について纏めてみましょう。

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2200年間(紀元前1300年頃~西暦900年頃)の古代船における外板接合の進化。(Pomey et al., 2012) (Illustration courtesy Cemal Pulak and  Institute of Nautical Archaeology)

①ウルブルン沈没船(紀元前1300年頃)

外板の板が厚く、モーティスとテノンも大きく作られていました。またテノンはペグによって留められていました。

②キレニア沈没船(紀元前290年頃)

外板はウルブルン沈没船のものより薄くなり、モーティスとテノンも小さくなりました。テノンはペグによって留められていました。

③ヤシ・アダ四世紀沈没船(西暦350年頃)

外板はより薄く、モーティスとテノンも小さくなり、間隔をあけておかれるようになりました。さらにモーティス(穴)はテノン(板)よりも大きく、かなり緩い接合になっていました。しかしこのテノンは依然としてペグによって留められていました。

④ヤシ・アダ七世紀沈没船(西暦625年頃)

モーティスとテノンはさらに小さくなり、モーティスはテノンよりも大きくつくられていました。モーティス・アンド・テノン接合はより間隔を広げて置かれており、従来テノンを留めていたペグもみられなくなりました。

⑤イェニカピ沈没船群(西暦900年頃)

外板はさらに薄くなり、モーティス・アンド・テノン接合は使われなくなりました。テノンの代わりに木の棒であるコーク (Coak) が使用されるようになりました。

丸木舟から進化した古代船は、そのコンセプトとして外板が造船の核になっていました。それがシェル・ベース・コンストラクション (Shell-based construction) です。しかし外板に穴(モーティス)をあけ、そこに小さな木の板(テノン)を挿入し、次の外板を組み立てる造船工程は現代の感覚では極めて手間の掛かるものでした。そして船体の原材料である木材の使用の点からみても効率の良いものではありませんでした。

古代から中世にかけて外板同士の接合は徐々に小さくなっていき、それに呼応してそれまで補強の役割でおかれていたフレームの重要性が大きくなってきました。そして中世中期にはフレームの重要性がさらに増していき、やがてフレームが船体構造の核となったのです。

次に見る船では、遂に外板同士の接合が消え、フレームを主体に船体が造られるようになります。古代船のシェル・ベース・コンストラクションから現代船のスケルトン・ベース・コンストラクションへの移行が完了することになるのです。

まとめ

東ローマ帝国(ビザンティン帝国)の港の遺跡から32隻もの沈没船が見つかり、これまで謎に覆われていた中世地中海の造船技術が徐々に明らかになってきました。イェニカピ沈没船のほとんどが保存処理中か考古学者による研究が行われている最中です。これらの研究が進めばさらに中世地中海の造船技術について様々な事実が明らかにされてくるでしょう。

また、このイェニカピ沈没船群は古代船の代名詞である「シェル・ベース・コンストラクション」で造られた沈没船の中で最後のものとされています。そして次に見る「サーチェ・リマーニ沈没船」はスケルトン・ベース・コンストラクションで造られた沈没船としては最初のものであるとされています。

スケルトン、即ち「フレーム」が船体の核になることにより、造船史に大きな変化がありました。それはフレームの形をデザインすることによって船体の形を予め決めることが出来るようになったことです。このようにして船は「デザインされる」時代にいきます。

では、次に最初のスケルトン・ベース・コンストラクションの船「サーチェ・リマーニ沈没船」を見ていきましょう。

<中世地中海の船、世界初のデザイン船、サーチェ・リマーニ沈没船(西暦1025年頃)>

<参考文献>

BASS, G. F. (1974). A History of Seafaring Based on Underwater Archaeology. London, Book Club Associates.

MORRISON, J. S. (1995). The age of the galley: Mediterranean oared vessels since pre-classical times. London, Conway Maritime.

POMEY, P., KAHANOV, Y., & RIETH, E. (2012). Transition from shell to skeleton in ancient Mediterranean ship-construction: analysis, problems, and future research. International Journal of Nautical Archaeology. 41, 235-314

PULAK, C., INGRAM, R., & JONES, M. (2015). Eight Byzantine shipwrecks from the Theodosian harbour excavations at Yenikapı in Istanbul, Turkey: an introduction. International Journal of Nautical Archaeology. 44, 39-73

KOCABAŞ, U. (2015). The Yenikapı Byzantine-era shipwrecks, Istanbul, Turkey: a preliminary report and inventory of the 27 wrecks studied by Istanbul University. International Journal of Nautical Archaeology. 44, 5-38

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