北欧ヴァイキング船の最高傑作、ゴックスタッド船(西暦850年頃)

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オスロにあるヴァイキング船博物館で修復され展示されているゴックスタッド船。(Almgre et al., 1991)

前の章ではノルウェーの首都オスロ近郊で発掘されたヴァイキング時代(西暦800年~1050年頃)初期のオセバーグ船を見てきました。この章ではオセバーグ船から約35年後に建造されたとされる、同じくオスロ近郊で発見されたゴックスタッド船を見ていきましょう。

ゴックスタッド船(西暦850年頃)

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発掘中のゴックスタッド船。(Brogger and Shetelig, 1971)

ゴックスタッド船は1880年にノルウェーの首都オスロの近郊で発掘されました。現在では前章で見たオセバーグ船と同じく、オスロにあるヴァイキング船博物館で展示されています。

ゴックスタッド船もサトン・フー船やオセバーグ船と同じく船葬墓としてヴァイキングの豪族の遺体と共に埋葬されました。埋葬時では上の写真からもわかるように簡易的な小屋が甲板上に建てられ、そこに遺体と埋葬品が安置され、船ごと墓として地中に埋められました。このゴックスタッド船の船葬墓自体はその後の研究により905年か906年に埋められたものと分かっています。しかしゴックスタッドの船自体は850年頃に建造されたものであることがわかりました。

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オスロのヴァイキング船博物館で展示されているゴックスタッド船。(Dammann, 1983)
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ゴックスタッド船の復元図。(Steffy, 1994) (Illustration courtesy W. Dammann and Arbeitskreis historischer Schiffbau e.V., Rubezahlweg 21, 5790 Brilon-Gudenhagen; Drawing by W. Seiss.)

ゴックスタッド船は全長が23.3m、最大幅が5.3m、全長と幅の比率が4.4:1となっています。また排水量も20.2トンあり、保存状態の良いまま発見されたヴァイキング船の中では最大の大きさを誇っています。オール(櫂)を通すための穴のある外板列の上に更に2つの外板列が備え付けられており、北海の外洋での荒い海での航海に耐えられるように作られた船であったことがわかります。

船体の全ての木材がオークで作られており、外板の厚みは2.5㎝ととても薄く、船体は柔軟でした。外板列はキール(竜骨)を中心に左右に16列ずつありました。ゴックスタッド船の外観で一番特質的なのはそのキールの深さです。これは明らかに外洋での帆走を考えてデザインされたものであり、全長と幅が4.4:1の比率であることや、その他の特徴から考えても、この船が人を運ぶための帆走を主とした連絡船かレジャー船であったと考えられます。

ゴックスタッド船の構造

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ゴックスタッド船のマストステップ付近の復元断面図。 (Reconstruction by W. Dammann; Drawing by W. Seiss; and Illustration courtesy Arbeitskreis historischer Schiffbau e.V.)

ヴァイキング船のビーム(梁)であるビティ(Biti, 複数形:Bitar, ビター)の下部はオセバーグ船とほぼ同じ構造でフレーム(助骨)は外板のクリートと紐で結び付けられていました。メガフーファー(Meginhufr)はオセバーグ船よりも小さく(薄い造り)なっています。このメガフーファーはフレーム(助骨)に鉄鋲で留められていました。外板列はメガフーファー(Meginhufr)の下方に9列、上方に6列あり、甲板の位置はオセバーグ船よりも低くなっており、これにより船の重心が低くなり、船体の安定性が向上したと考えられます。

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ゴックスタッド船の構造図。(Steffy, 1994) (Reconstruction by W. Dammann; Drawing by W. Seiss; and Illustration courtesy Arbeitskreis historischer Schiffbau e.V.)

甲板の高さ(メガフーファーとビティの位置)の上部の6列の外板列において、下の4列のみがビティ(梁)の上部に備え付けられたスタンディング・ニーに木釘で留められており、その上に位置する(最上部の)外板2列はスタンディング・ニーの横に位置するファトック(最下部以外の助骨)のみに留められていました。

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甲板を取り外したゴックスタッド船の内部。(Brogger and Shetelig, 1971)
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ゴックスタッド船、マストステップ付近の復元図。 (Reconstruction by W. Dammann; Drawing by W. Seiss; and Illustration courtesy Arbeitskreis historischer Schiffbau e.V.)
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オセバーグ船のフィッシュ(マストパートナー)。(Brogger and Shetelig, 1971)

ゴックスタッド船には一本のマストと横帆(square sail)が備わっていたと考えられています。マストステップはオセバーグ船よりも強靭で大きさ造りになっており、フレーム(助骨)4本の上にまたがっていました。その上部に備え付けられたフォーク(またはマストパートナー)はより大きく発達して、6本のビティ(梁)をまたがっていました。このように大きく発達したフォーク(マストパートナー)は、その形状からフィッシュとも呼ばれていました。

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復元修復されたゴックスタッド船の内部。側面にオール用の穴が見れます。(Dammann, 1983) (Photography courtesy Co Universitatsmuseum Oslo) 
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ゴックスタッドのオール用の穴と可動式の蓋。(BASS, 1974) (Photo courtesy Universitetets Oldsaksamling, Oslo).
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ゴックスタッド船の漕ぎ手の復元図。(Brogger and Shetelig, 1971)

ゴックスタッド船には櫂走能力も備わっており、最大で32人の漕ぎ手(片側16人)よって運用が可能でした。オールを通す穴にはつがいの付いた可動式の蓋があり、帆走時に水が浸入してこないように工夫されていました。オール用の穴はビティ(梁)とビティ(梁)の間に空いており、漕ぎ手はこの間の空間をつかいオールを漕いでいました。この漕ぎ手の使用したスペース(ビティとビティの間の空間)をルームといいます。

次は北欧の船の進化について一度まとめてみましょう。

北欧古代~中世におけるキール(竜骨)と造船技術の発達

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北欧のクリンカービルド構造を持つ船の復元断面図。(Greenhill and Morrison, 1995) (Illustration courtesy Ole Crumlin-Pedersen)

ここで一度、北欧の造船技術の発達をヒョルトスプリングボート(紀元前350年頃)、ネイダン船(西暦350年頃)、オセバーグ船(西暦815年頃)、そしてゴックスタッド船(西暦850年頃)を例に見ていきましょう。

ヒョルトスプリングボート(紀元前350年頃、デンマーク)

キール(竜骨)といえるように発達した中心となる構造は無く、ヒョルトスプリングボートでみれるような、中心にある外板列はキール・プランク(竜骨板)と呼ばれています。ヒョルトスプリングボートは構造的に「船」というよりは、もっと原始的な「丸木舟」に近いものがありました。外板列どうしは紐を使ってお互いを留めていました。

ネイダン船(西暦350年頃、ドイツ北部 (デンマークとの国境付近))

キール・プランク(竜骨板)の断面が徐々にT字の形になってきました。T字型の断面を持つキール(竜骨)はヴァイキング船の特徴の一つであり、T字型のキール(竜骨)はネイダン船の時代から現れ発達したのだと考えられます。しかしまだネイダン船では「キール(竜骨)」と呼べるだけの厚さと帆走時に横滑りを防ぐ機能は持っていなかったため、キール・プランクとよんでいます。

オセバーグ船(西暦815年頃)とゴックスタッド船(西暦850年頃)

ヴァイキング船となり発達したT字型のキール(竜骨)を備えていました。深く突き出たキール(竜骨)は帆走時の横滑りを防ぎ、高度な帆走能力を可能にします。これらからヴァイキング達が高度な造船技術と航海能力を有していたことがわかります。

まとめ

いかがでしたか?ゴックスタッド船の構造から高度なヴァイキングの造船技術が見えてきたと思います。ヴァイキング達はあらゆる工夫を凝らし、外板が2.5㎝と非常に軽く柔軟ながらも、北海の過酷な環境に耐えられる船をつくっていました。これらの卓越した造船技術の粋であるヴァイキング船を用い、彼らは航路を築き、通商と侵略を行いながら250年間に渡る繁栄を北欧で遂げていきました。

次の章ではヴァイキング時代最後の沈没船遺跡であるスクーダレヴ沈没船遺跡を見ていきます。デンマーク西部のスクーダレヴから5隻ものヴァイキング船が発掘されました。これらの沈没船は同時代に使用された船であるにもかかわらずそれぞれ違った船型と構造をしていました。そこから当時のヴァイキングたちが用途に応じて様々な船を計画的に建造していたことがわかったのです。それでは北欧ヴァイキング時代最後で最大の考古学遺跡であるスクーダレヴ沈没船遺跡を一緒に見ていきましょう。

<北欧ヴァイキング時代最後の沈没船遺跡、スクーダレヴ沈没船群(西暦1060年~1070年頃)>

<参考文献>

ALMGRE, B., BLINDHEIM, C., CAPELLE, T., ELDJARN, K., PERKINS, R., RAMSKOU, T., and SAWYER, P. (1991). The Viking. New York, Crescent Books.

BASS, G. F. (1974). A History of Seafaring Based on Underwater Archaeology. London, Book Club Associates.

BRØGGER, A. W., & SHETELIG, H. (1971). The Viking ships: their ancestry and evolution. Oslo, Norway, Dreyers Forlag.

DAMMANN, W. (1983). Das Gokstadschiff und seine Boote. Heidesheim, Arbeitskreis historischer Schiffbau.

GREENHILL, B., & MORRISON, J. (1995). The archaeology of boats and ships: an introduction. London, Conway maritime Press.

STEFFY, J. R. (1994). Wooden ship building and the interpretation of shipwrecks. College Station, Texas A & M University Press.

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