
古代ギリシャを地中海の最強の都市国家にした戦艦「トライリム」について見ていきましょう。トライリムは日本語では三段櫂船と訳され、その名の通り、漕ぎ座が3層になることによって飛躍的に機動力の増した攻撃用のガレー船をさします。その主な戦術としては船首のラムから敵船に体当たりして敵の船体を破壊し航行不能、または沈没させるものでした。また甲板上は戦闘のためのプラットフォームともなっており、数多くの戦闘用の兵士も乗っていたとされます。
漕ぎ座が3段になっていたガレー船は、早いものでは古代ギリシャの歴史家、ヘロドトス(紀元前485年~紀元前420年)やトゥキディデス(紀元前460年~紀元前395年)の記述に出てきており、それによると紀元前650年頃には古代ギリシャ文明初期の都市国家コリントスで試作船が造られていたとされます。
その後、紀元前500年頃までには古代ギリシアの都市国家の海軍において主要戦力として使用されるようになりました。
漕ぎ座のシステム
トライリムにおいて3段の漕ぎ座がどの様に造られていたかを理解するうえで最も貴重な考古学的資料が、古代ギリシャのアテネのアクロポリスから発掘されました。レノマント・レリーフと呼ばれる紀元前410年頃のトライリムを描いたレリーフ画の欠片から、漕ぎ座がどの様に配置されていたかが判ってきました。

このレリーフ画から判るのは、トライリムの漕ぎ座上部の甲板はプラットフォームになっていること(Full deck gangway. ギャングウェイ: Gangway=(本来は)座席間の通路)、3段目の漕ぎ座が船の側面に飛び出ていること(上部の図では緑色の部位が3段目の構造を支えています)、ウェールが何本も通っており船体を補強していること、ソール・ピンが(おそらく1段目と2段目にも使用されていますが、少なくとも)3段目で使われていることがわかります。

トライリムの漕ぎ座のシステムにおいて、それ以前のガレー船との最大の相違点(進化)はこの「アウトリガー」といわれる新たに船の側面に飛び出るように加えられた部分です。アウトリガーが船体に付け加えられることによって、オールを長くしたり(より漕ぐための力が必要になる)、角度を付けることなく(他のオールと重なり合う危険性がある)、三段目の漕ぎ座を追加することが可能になりました。

紀元前4世紀頃(紀元前400年~紀元前300年)の古代ギリシャのアテナ海軍の記述では3段目(上)をスラニテ (Thranite = stool、腰掛)、2段目(中)をジギテ (Zugite = thwart、漕ぎ座)、1段目(下)をサラミテ (Thalamite = chamber、小室) とよび、標準的なトライリムにはスラニテ(三段目)が片側31(合計62人)、ジギテ(2段目)には片側27(合計54人)、サラミテにも片側27(合計54人)の漕ぎ手が乗っていました。一隻のトライリムに乗っていた漕ぎ手の合計は170人であったとされています。

そのほかのアテナ海軍の記述によると、紀元前400年頃から紀元前300年頃のトライリムには合計200人の乗組員がいたとされています。この200人のうち170人が漕ぎ手でした。漕ぎ手以外の乗組員として、船長 (captain) と操舵手 (helmsman)、トライリムの管理官 (administrative officer)、士官 (officer)、漕ぎ手のリズムを合わせるためのフルート奏者 (Flute player)、船大工 (carpenter)、船首の士官(Bow officer)、10人の船乗り(sailors、主に帆や錨などを扱う)、10人の装甲兵 (hopites)、4人の弓の射手 (archers) が乗っていたとされています。
トライリムの大きさ
ではトライリムはどの程度の大きさのだったのでしょうか、古代ギリシャの記述では紀元前480年頃にトライリムは200人の乗組員を擁したガレー船であったとされています。紀元前4世紀のアテナ海軍の記述ではアテナ海軍のトライリムは200人の乗組員を定員(うち170人は漕ぎ手)としていたことがわかっています。
この謎を解く鍵がアテナの港の遺跡のにあります。
ピレウス港のトライリム格納庫遺跡

現在でもギリシャの首都アテナの玄関口になっているピレウス港は古代ギリシャの時代からアテナに通じる最も重要な港として栄えていました。紀元前400年頃には既に372隻の船の格納庫があったとされています。



ピレウス港で行われた発掘によってトライリムの格納庫の様子が考古学者によって復元されました。これによって、この格納庫に収容可能なトライリムの大きさが判ってきました。
格納庫は紀元前4世紀頃のものです。ここから紀元前400年頃から紀元前300年頃のトライリムは、全長約39.6mから約36.6m、最大幅約3.65m(アウトリガーを含めると約4.88m。甲板の戦闘用プラットフォームを含めると5.80m)であったと推測されます。

トライリム実物大再現船「オリンピアス」

1987年にギリシャ海軍と考古学者によってトライリムも実物大のレプリカ船が造られました。このレプリカ船では漕ぎ座の位置なども考古学者の研究をもとに再現されており、実際に海上でのオールを使用しての航行も行われました。このオリンピアスのオールを使っての平均速度(航行速度)は7ノット(時速約13キロメートル)、最大速度10ノット(時速約18.5キロメートル)でした。(参考までに、オリンピックの50m自由形(クロール)での世界記録のスピードは時速8.6キロメートルだそうです。)
古代ギリシャの記述などによると、トライリムには2つのマスト(中央部のメインマストと前方部のフォアマスト)が搭載され、戦闘時には常に前方のフォアマストのみ搭載され、メインマストは船から取り外されていたと考えられています。この二つのマストともスクエアセイルが取り付けられていました。(square sail: 横帆、四角形の船の進行方向に対して垂直(横向き)に取り付けられた帆。これまで見てきた船もスクエアセイルでした。)
トライリムの最盛期とその後
紀元前500年頃から紀元前400年頃の古代ギリシャのアテナの最盛期には、アテナ海軍には300隻以上のトライリムが常備・運用されていました。これらのトライリムを運用するには4万~5万もの数の漕ぎ手が必要でした。
この漕ぎ手を確保するためにアテナ市民が兵役として任にあたっていました。熟練したトライリムの漕ぎ手になるのは簡単なことではなく、アテナ市民は最初の訓練に8カ月、その後も毎年訓練が課せられていました。これらの訓練の成果もあり、トライリムを主力としたアテナ海軍の戦力は古代地中海において最強を誇っていたのです。
しかしながら、紀元前300年頃を境に古代ギリシャのマケドニア王国の国力が強くなるにつれ、その他の古代ギリシャの都市国家の力が衰退していきました。そのため高度な訓練が必要なトライリム(ガレー船)のラムを使った海上戦術が維持が困難になっていき、攻撃兵器としてのガレー船の必要性が徐々に失われていくことになりました。
その後にガレー船は戦闘員を運ぶプラットフォームの役割が大きくなり、より巨大なガレー船が好んで造られていきました。ヘレニズム期(紀元前330年頃~西暦30年頃)には4段を意味するクワドリリム (Quadrireme) や5段を意味するクインクリム (Quinquereme) の船やそれ以上に大きな船も造られたとされています。
しかしガレー船が巨大化したこの時代までに、ガレー船の名前が持つ意味も「段」から「人数」にかわっていきました。船体が大きくなると、それに合わせて漕ぎ座の段を増やすのではなく、オールを巨大化して、一本のオールを複数人で漕ぐようになりました。


記述によると紀元前280年頃には「レオントフォロス (Leontophoros) 」という双胴のガレー船が造られたとあります。実際にこのような巨大な船が建造可能であったか、考古学者は多少懐疑的ではありますが、記述によるとこのレオントフォロスは1600人の漕ぎ手を擁し、プラットフォームには1200人の兵士が乗っていたとされています。

その非効率的な巨大ガレー船主義も次第に力を失っていきました。後のローマ帝国も強大な軍事力を誇った国家でしたが、軍事の主力は陸軍に置かれ、ラムを使った戦術は徐々に失われていくことになったのです。
中世に入るまでにはラムを船首に抱いた船は完全に失われてしまいます。しかしながら数多くのオールによって推力を得るガレー船は現代に至るまで世界各地で造られ続きました。地中海世界においても、地中海からヨーロッパ大陸の各国への玄関口となっているベネチアはガレー船の生産地として近世まで有名でした。日本でも16世紀後半にヨーロッパから来た宣教師が大阪湾・瀬戸内海で建造した「フスタ船」という小型のガレー船に太閤秀吉が乗ったという記述が残っています。時代によって形は変わっていきましたが、風力を必要としない「ガレー船」は船の主要なカテゴリーのひとつとして存在し続けていくことになったのです。
まとめ
トライリムは古代地中海世界で古代ギリシャの繁栄をもたらした海軍戦力の代名詞ともいえる戦艦でした。トライリムはその考古学的資料が少ないにも拘らず古代ギリシャの栄華の象徴として早くから多くの学者によって研究されてきました。最近でも「300 帝国の進撃」などの映画でも取り上げられており、とても人気のある研究テーマとなっています。
次はトライリムをはじめ、戦艦として活躍していたガレー船の船首に取り付けられていた古代の兵器「ラム」について見ていきましょう。
<古代地中海の海上兵器、アスリット・ラム (紀元前200年頃)>
<参考文献>
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MURRAY, W. M. (2014). The age of titans: the rise and fall of the great Hellenistic navies. New York, Oxford University Press
THROCKMORTON, P. (1987). The Sea Remembers: From Homer’s Greece to the Rediscovery of the Titanic. London, Bounty Books.