カウイタ沖デンマーク奴隷船水中調査プロジェクト
プロジェクトリーダー:アンドレア・ブロック
場所:カウイタ、コスタリカ

2019年の10月後半から11月前半にかけて約3週間、中米の国コスタリカで働きました。初めての中央アメリカでの仕事です。(現地での定義ではこれまでに私が働いたメキシコは北米、そしてコロンビアは南米です。)

仕事内容は現地で水中考古学の基礎とフォトグラメトリを使った3次元測量のワークショップの開催。それとコスタリカ南東部のカリブ海沿いのカウイタという町に沈んでいるといわれる18世紀初頭のデンマーク船の水中調査です。
この300年前に沈んだとされるデンマーク船は俗にいう「奴隷船」でした。この船に関する記述はデンマーク側に残されており、デンマークの新大陸での歴史を伝えることのできる重要な資料としてその発見が注目されていました。
そしてコスタリカ側でもこの「奴隷船」は自分たちのルーツを示す重要な遺跡として注目されています。そしてコスタリカの考古学者達としてはこの沈没船をコスタリカの水中考古学の夜明けとしようと試みていました。
招集された私たちの仕事は、この地元に伝わる沈没船が果たして本当に歴史資料に残っているデンマーク船なのかを確認すること、そして新たにコスタリカが水中考古学を始めるための基盤を作るというものでした。

デンマーク側のメンバーは3人。リーダーとしてデンマーク国立博物館で働くデンマーク人のアンドレアス。デンマークのロスキルダ・バイキング船博物館で働くクロアチア人のマトコ、そして私です。
アンドレアスとマトコと私は以前から仲が良く、これまでに一緒に各国で学会に参加したり仕事旅行をしていました。これまでに3人で訪れた国(場所)はクロアチア・日本・香港・マカオ・デンマーク。死ぬまでに30か国で一緒に酒を飲むことを目標にしていますコスタリカが6ヵ国目。
もともとコスタリカではアメリカの研究機関が地元のNPOや研究機関と一緒に数年働いていたのですが、成果が上げられず、さらに協力関係をしっかり築かなかったため追い出されてしまいました。(一部ですがアメリカの研究機関・研究者は他の国の研究者を下に見る傾向があります。)そこでコスタリカ側の要請を引き継いだのがデンマーク人のアンドレアスでした。そして親友で同僚であるマトコと私のところに要請が来たのです。

はじめての国コスタリカ!正直、じっさいに訪れるまでは「水曜どうでしょう」でぐらいでしか知りませんでした。
10月後半にそれまで働いていたクロアチアからマトコと二人でコスタリカに飛びました。アンドレアスはこのプロジェクトのために研究休暇をとり半年前から現地で働き、プロジェクトの準備をしていました。
今回の仕事で重要なのは、私たちが全ての仕事をしてしまうのではなく、現地の考古学者とNPO、そして水中考古学に興味のある子供たち(中高生)に水中考古学の技術を伝えながら一緒に働くための下地をしっかり作るというものです。
つまりこれから数年間コスタリカで働くことを見越して、その数年後に私たちが引き上げた後でしっかりとコスタリカが独自で水中考古学を続けられるための地盤を作るというものです。

アメリカの研究機関が失敗したのは現地の研究機関やNPOと一緒に同じ立ち位置で働くというものでした。そのためアンドレアスが最重要視したのが2週間の水中考古学・3次元測量ワークショップでした。
このワークショップは私が各国で行ったどんなワークショップとも違うものでした。いわば今回の仕事はコスタリカ側から私たちを試す期間。そしてデンマーク側からもまだ確実にデンマークの沈没船とはわかっていないので予算は出ません。
ようは予算の少ないプロジェクト。ワークショップは私たちが宿泊しているカウイタの熱帯雨林の中で行われました。

通常のワークショップでは車や電車の音がうるさく講義を中断します。一方でコスタリカでのワークショップは猿が叫びうるさいので中断。リスが教室(屋根だけがあるホテルのロビー)を飛び跳ねています。
「水中考古学者、熱帯雨林で猿と毒ガエルに囲まれながら働く。」
水中考古学者を目指しはじめた15年前は予想もしませんでした。

ワークショップは大成功。皆さん喜んでくれました。

良い評判が広まり政府の役員や大学の責任者が挨拶に来てくれて、なんとこれまで行われなかった沈没船の積み荷のサンプルをデンマークの研究機関に送る許可が下りました。私たちは試験に合格できたようです。


ワークショップの終了後はカウイタの海で沈没船の調査。海底には積み荷の一部が露出しているだけだったのですが、ここで私のこれまでの何十にも及ぶ他国での沈没船の水中発掘の知識が役に立ちました。沈没船の位置と埋まってる船体の長さ、どの様に沈没したのか、船体の保存状態、これからどのように発掘するべきか、その予算と期間はどのくらいかかるのか、学術的な研究の価値などのアドバイスすることが出来ました。

私としては何十回とこれまで他国で行ってきた水中発掘プロジェクトの経験と、船の専門知識をまとめた提言だったのですが、これが彼らとしては一番聞きたかった情報だったらしく、その後一気にコスタリカ国内でも2020年以降の水中発掘に向けて動きはじめました。そしてデンマーク側からの報告も。コスタリカから送った積み荷を専門研究機関で分析にかけたところ、積み荷はデンマーク産だと証明されました。
よぉぉぉぉぉぉぉぉぉっし!前に進めます。


そしてコスタリカの人々ともとても仲良くなりました。1週目が終わるころには私たちを信頼してくれたのか、様々なおもてなしを受けました。いろいろなところに連れて行ってもれました。とてもの充実した時間。私たちも忘れられない時間を過ごすことが出来ました。

そして、2019年の年末にコスタリカ側の責任者のマリアさんから「あなたについての記事を書いた」とメッセージが送られてきました。これは私の一生の宝物となりました。
原文が以下になります。(コピペです)
Fotogrametrista de Naufragios en el Parque Nacional Cahuita
María Suárez Toro
Conocí una vez un pirata bueno, que vino al Caribe Sur desde Japón para impartir un curso de fotogrametría con los jóvenes buceadores Embajadadores y Embajadoras de Mar.
Potín es el nombre que le puse al profe cuando escuché a unas niñas en Cahuita cantar una canción pegajosa que tararea todo el tiempo una sobrina nieta que yo tengo en Puerto Rico, Obviamente habla de un pirata porque dice que tiene un ojo de vidrio, una pata de palo y nariz de bocali.
Y me pareció que Kotaro Yamafune, mas bien puede ser el pirata de la canción que, cantada, dice así: Potín, Potín, pata de palo, ojo de vidrio y nariz de bocali.
Fue por la imagen del ojo de vidrio que le puse Potín. Porque este japonés de ojos rasgados, mira las cosas con el ¨ojo de vidrio¨ que es su cámara de fotogrtafiar.
Esa es su especialidad: tomar cientos de fotos de un objeto para convertirlo en un modelo tridimensional computarizado que permite ver más allá de una simple mirada.
En realidad, es un buen pirata, porque en lugar de robar tesoros, atesora información creada mediante modelos digitales tridimensionales que rescatan, recrean y visibilizan imágenes perdidas de barcos hundidos en sitios arqueológicos.
Con la fotogrametría, Potín – el buen pirata – permite valorar el tesoro que significa lo que permanece oculto y al fin se logra ver. El recupera tesoros culturales ocultos con el ojo de vidrio que es su cámara.
https://youtu.be/MgaSu8MLFY4
El hombre es sencillo, de baja estatura y lleva una sonrisa transparente que contagia. Expresivo en corporalidad, probablemente usa esa técnica para comunicarse porque a pesar de que no sabe una palabra de español y su inglés es muy ¨japoneseado¨ pero ha diseñado una metodología impresionante para hacerse entender.
Yo, que fui maestra bilingüe durante mis muchos años en bajo el mar cuando piratas, colonizadores, Misquitos, Bribris y Cabécar merodeaban la zona del Caribe Sur donde se hablaban muchos idiomas cuando ese territorio costero del Caribe Sur no era controlada por nadie. Lo merodeaban todos con todos sus idiomas.
Todavía no comprendo a plenitud cómo hizo este japonés para que unos buceadores de la zona que hablan español, dos daneses que hablan su idioma y hasta un ucraniano, hicieran un curso en inglés con él. ¡Y le aprendieron todo!
Es un maestro en fotogrametría, no tanto porque tiene un doctorado en esa disciplina, sino porque se apasiona por lo que nos permite conocer en su uso, en la arqueología marítima.
Pero también es un maestro en la nueva educación bilingüe o multilingüe en la cual, de no entenderse lo que escucha, se propicia una segunda oportunidad mediante la práctica del comando verbal en la computadora.
Así aprendieron el saber mas avanzado que cambiará la disciplina de la arqueología radicalmente: la modelación tri dimensional para mapear, medir, preservar y analizar sitios y piezas arqueológicas.
¿Quién es este hombre?
Fue un curso tan fuerte, intensivo y arduo que todos tuvieron que desarrollar ojo de vidrio. Al finalizar exitosamente su trabajo de diez días, se dedicó a navegar las aguas turbulentas de las últimas dos mañanas de verano en el lugar en el Sitio de Los Ladrillos en el Parque Nacional Cahuita.
Potín sabe, como yo, la luz marina encandilada por los recientes re-descubrimientos acerca de los naufragios en Cahuita, que el fondo del mar sigue guardando secretos a su antojo. Pero Potín se los roba al mar, sin tocarlos ni sacarlos, para que los podamos conocer. ¡Qué carga de pirata!
La noche que presentó en la computadora su modelación del Sitio de Los Ladrillos, hasta yo, Tona Ina, me quedé atónita de lo que pudieron ver por primera vez esos jóvenes buceadores. Porque llevan cuatro años buceando arqueológicamente el lugar, han visto siempre decenas de veces han visto los miles de ladrillos, los han apreciado y los han medido y los analizado.
Pero en esta ocasión, en la pantalla del ordenador, por primera vez, vieron mucho mas.
Qué risa me dio verlos a todos quedarse sin habla también! Permanecieron calladititicos, mirando la computadora como si no tuvieran voz, a pesar de que Potín les preguntaba una y otra vez, si veían lo que él miraba.
¡Ahí estaba, nítido ante sus ojos! Ya no eran solo los vestigios de un naufragio, sino que, en la modelación tridimensional, pudieron percibir, dibujada en la protuberancia de un gran grupo de ladrillos, una silueta de barco.
Mientras Potín movía el cursor sigilosamente, girando el modelaje para mostrar los distintos ángulos del naufragio, Potín preguntaba y nadie contestaba.
De un simple sitio a un claro naufragio
Curiosamente esa noche el sitio de Los Ladrillos dejó de ser ¨un sitio¨ y, los ladrillos dejaron de ser ¨unos artefactos
スペイン語、読めないっちゅうの。グーグル翻訳(スペイン語→英語)から私なりに解釈(英語→日本語)したのがこちら。
私は善良な海賊に会いました。彼は日本から南カリブ海に来て、若いダイバーと海の研究者にフォトグラメトリを教えました。
「ポティン」とは、私のプエルトリコに住んでいるの孫娘やカウイタの少女たちが歌う鼻歌の登場人物です。彼は木製の義足、ガラスの義眼、大きな鼻を持った海賊です。そして私はこの日本からの先生をポティンと名付けました。
私はこの山舩晃太郎がこの歌に歌われている海賊のように思われたのです。「ポティン、ポティン、木製の義足、ガラスの義眼、大きな鼻」
私が彼をポティンと名付けたのは、「ガラスの義眼」の印象からです。この日本人は写真を撮るカメラの「ガラスの義眼」を通して物を見ます。
これが彼の専門分野です。数百枚の対象物の写真を撮って、それをコンピュータによって3Dモデルに変化させ、全てのものを可視化してしまいます。
事実、彼は優れた海賊なのです。なぜなら彼は宝物を盗むのではなく、彼は考古学として沈没船遺跡から3Dモデルを作り出し、失われた沈没船の情報という宝物を作り出してしまうのです。この善良な海賊「ポティン」がフォトグラメトリをつかうことにより、私たちは今まで隠されていた宝を見ることができます。彼はカメラという「ガラスの義眼」を使い宝物を回収します。
この男は真っすぐで、伝染する透き通る笑顔を持っています。彼はスペイン語を知らず、英語は日本語なまりですが、表現力があり彼の言葉を理解させる能力と手段を持っています。
私が昔、この南カリブ海の国々で語学の教師として働いていた時のことを思い出します。そのころの南カリブ海の沿岸地域がは誰にも支配されていなく、さまざまな種類の人々がそれぞれの言語を話していました。その時代は全ての言語が使われていたのです。
私はでもこの日本人がどうやって別々の言語を話すコスタリカ人、デンマーク人、ウクライナ人に英語で教え、全ての技術を教えることが出来たのかその方法がわかりません。でも彼の生徒らは彼の技術を学ぶことが出来たのです。
彼はフォトグラメトリのマスターです。これは彼が博士号を取得しているからではありません。これは彼が、私たちにこの技術を教え、私たちがこれから知りえる海事考古学の可能性に情熱を持っているからです。
そして彼は新しいタイプの多言語を操る教師でもあります。彼は生徒に理解できないことがあると、何度も何回でも生徒に機会を与えコンピューターを使いながら練習を行いました。
このように、生徒たちは考古学を根本的に変えるかもしれない最先端の知識を学びました。考古学の遺跡や遺物の測量、保存、分析するためことのできる3Dモデルです。
彼は一体何者なのか?
彼のクラスはとても濃密で難しいものでした。この困難なクラスの中で生徒たちも彼と同じように「ガラスの義眼」を発達させていきました。
10日間のクラスが無事に終えると、彼はカウイタ国立公園のロス・ラドリヨスにある遺跡で、夏の最後の荒波を航海することに専念しました。
ポティンはカウイタの沈没船に輝く海の光を知っています。この海底には秘密が眠っていることを知っているのです。しかし、ポティンは実際に遺跡に触ることなく、海の秘密を盗み出します。なんという海賊の王様でしょう!
彼がパソコンでロス・ラドリヨス遺跡の3Dモデリングを皆に見せてくれた夜、私を含めすべての若者が初めて見たものに驚きました。私たちはこれまで4年間、考古学的にその場所で潜水作業をし、何千ものレンガを見て、分析研究してきました。
しかし、その夜、コンピューター画面を通して、これまでにないものを目撃しました。
私は誰もが言葉を失っているのを見て、なんと笑顔になりましたか!ポティンは何度も彼らに語り掛けましたが、彼らは言葉を失ったかのように画面を見て、沈黙したままでした。
それは明らかでした!これはもはや難破船の痕跡ではなくなりました。3Dモデルは、レンガの位置と大きさを明らかにし、船のシルエットを完全に映し出すことができました。
ポティンはゆっくり3Dモデルを回転させながら、沈没船をさまざまな角度を表示し説明を続けました。誰もが言葉を失いながら見入っていました。
ついにこの場所は「遺跡地点」から明確に「沈没船遺跡」となりました。
その夜、ロスブリックの遺跡は「場所」から「遺跡」になり、レンガは「物」から「遺物」になったのです。
嬉しい!涙がちょちょぎれそうになります。
そして水中考古学者として「大事なもの」を再確認できました。

大学院を卒業してから様々な国の研究機関に招待され、一緒に働いたり水中考古学の技術指導を行ってきました。その中でやはり言われて嬉しいのが「ありがとう」の言葉。そして「また来年も来てね」という別れ際の言葉。
卒業後、私は自分の研究とは別に、世界の「水中遺跡の保護」のためと「水中考古学を広めるため」に仕事をしています。様々な国から招待されるようになりました。正直、予算があまりない国からの依頼も少なくありません。その中で自分の能力を信頼して、いろいろと託してくれる人々。彼らの笑顔と「言葉」が原動力になっています。
忙しく、睡眠がとれないことも少なくありませんが、依頼をくれた国の研究者や人々からこの様な言葉をかけてもらえるのが嬉しくて、何よりも自分の仕事が認められている充実感から、仕事を受けてしまうのです。

2019年は特に忙しく、12月頃には正直ヘロヘロになっていました。疲れているときには弱るもの。日本など、それほど自分を必要としてくれていないけど、少し仕事の単価の高い国での仕事を増やそうかとも考えていた矢先にこの様なメッセージをもらいました。ありがたい。自分のやってきた仕事はしっかり誰かの役に立っているのだと確認できました。

そして1月に私が胃腸炎に倒れたあとにも送られてきたメッセージ。この手作りのポティン人形、しっかり左手にカメラを持っています。
大好きな親友二人と力を合わせ、そして現地の人々の協力を得ながら、コスタリカの水中考古学の始まりを見届けるためにこれからも力を合わせて頑張ります。
コスタリカは「美しい自然」「かわいい動物」「美味しいごはん」の三拍子そろったとてもいいところです!大好きな仕事場が増えました。



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チューク諸島・水中戦争遺跡保護のためのフィールドスクール(ミクロネシア連邦:2019年)