古代地中海の海上兵器、アスリット・ラム(紀元前200年頃)

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トライリムの実物大復元船「オリンピアス」の船首。船首の水面付近に復元されたラムがみえます。(Morrison, 1995) (Photo courtesy Paul Lipke and the Trireme Trust)

前章では古代ギリシャのガレー船、トライリム(三段櫂船)について見てきました。ここではトライリムをはじめ戦艦として古代地中海世界で使われていたガレー船の船首に取り付けられていた「ラム」について見ていきましょう。

 

古代の戦艦沈没船??

前章・前々章では古代地中海におけるガレー船がどの様な姿をしていたかをみてきました。同時代の商船(ラウンドシップ)は発掘された沈没船を研究することによってその船体構造が明らかになってきました。しかし古代のガレー船では主として記述やレリーフ画や土器片などに描かれた描写からしか考察を行ってきませんでした。

これまで古代のトライリムなどのガレー船の沈没船研究が行われてこなかったのは、単に古代のガレー船の「沈没船」が発見されていないためです。そしてこれからも古代地中海のトライリムなどの戦艦の沈没船が見つかる可能性は限りなく小さいと考古学者は考えています。

古代の戦艦は沈まない

「沈没船はタイムカプセル」の章でも紹介しましたが、古代の「商船」は一定量以上浸水すると沈んで沈没船遺跡になります。しかしこれは重い積み荷を船が積んでいたことを前提とします。戦闘用のガレー船(古代の戦艦)は機動力を増すためにその推力である漕ぎ手を多く乗せ、船を軽くするために積み荷やバラストは積んでいませんでした。そして現代の船と異なり古代の戦艦は木造でした。敵船から攻撃を受け、船に穴が空き浸水したとしましょう。当然ながら漕ぎ手は溺れないように船から泳いで脱出します。そして木製の船体は水に浮きます。つまりトライリムが戦闘でバラバラになったとしても、その船体を構成する木材は沈んで水中遺跡になることはなく浮かんで水面を漂い、いずれは陸地に打ち上げられることになるのです。つまり古代の戦艦が私たち考古学者の研究対象である水中遺跡という形で現在まで残る可能性は限りなくゼロに近いのです。

古代戦艦の唯一の考古学的資料「ラム」

そのような状況の中、古代の戦艦の中で唯一現在まで残っている部位があります。それが突進攻撃用の武器としてガレー船の船首に取り付けられた「ラム」なのです。ラムは敵船への突進に耐えられるように金属で出来ているために、ガレー船が破壊されると唯一沈む部分です。これまでにいくつものラムが発見され、貴重な考古学的資料として海底から引き揚げられました。

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今までに発掘されたラム。アスリット・ラムが一番大きなものです。(Murray, 2014)

 

 

アスリット・ラム(紀元前225年頃~紀元前175年頃)

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博物館内に展示されているアスリット・ラム。(Image from: https://commons.wikimedia.org/wiki/ File:Athlit_Ram_Haifa_090912_02.jpg)

現在までいくつか見つかっているラムの中で最大のものが1980年にイスラエルのハイファ近郊のアスリットの海中で発見されました。古代地中海の戦艦の船体構造を解明するための最も重要なパズルの1ピースになったのが「アスリット・ラム」と呼ばれる紀元前200年頃の戦艦の船首に取り付けられていたラムの一つです。

アスリット・ラムは全長2.3m、高さ0.95mあり、重さが465㎏あります。その大きさから、おそらくトライリムかそれ以上の大きさのガレー船(漕ぎ座が4段 のクワドリリム(Quadrireme) や5段のクインクリム (Quinquereme) ) で使用されていたと考えられています。このアスリット・ラムは18本かそれ以上の金属のボルトで木造の船体に留められていました。

 

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アスリット・ラムの実測図。上が上面図で下が側面図になっています。(Steffy, 1994)

アスリット・ラムの表面にはいくつかの装飾がみられます。「8つ光の星を掲げた兜(ヘルメット)」「ヘルメスの杖」「鷲(ワシ)の頭」です。

「8つ光の星を掲げた兜(ヘルメット)」はギリシャ神話に登場するゼウスの息子のポルックス (Pollux) とキャスター (Castor)(ローマ神話ではゲミニとして知られる双子)のシンボルであり、彼らは船乗りの守り神でもありました。

「ヘルメスの杖」は使者の杖とも呼ばれ、ギリシャ神話の神の一人でゼウスの息子の一人ヘルメースのシンボルです。ヘルメースも旅人の守護神でした。

「鷲の頭」はヘレニズム期のエジプト、プトレマイオス朝のコインのものと酷似しています。ヘレニズム期とは古代ギリシャのコリントス同盟盟主であったアレクサンダー大王が東方遠征後に東西の文化が融合された時期(紀元前323年~西暦31年)をさします。またアレクサンダー大王はエジプト遠征の後にエジプトのファラオも務めました。プトレマイオス朝の初代ファラオもアレクサンダー大王の臣下であったプトレマイオスがつとめ、プトレマイオス朝の首都はアレクサンドリアでした。プトレマイオス朝最後の統治者が有名なクレオパトラです。

これらの事実により、アスリット・ラムは古代ギリシャの影響を色濃く受けていたエジプトのプトレマイオス朝の海軍で使われていた軍艦に取り付けられていたラムだと考えられます。

 

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博物館に展示されているアスリット・ラム。先端が敵船を潰すのに最適な形状をしています。(Image from: https://en.wikipedia.org/wiki/Naval_ram)

ラムの先は6つの板のように分かれており、この四角形をかたどる尖頭は敵船の船体に穴をあけるのが目的ではなく、追突の力を敵の船体に効率よく伝え、敵の船体を押しつぶして、完全に船の航行能力を奪うことを目的にしていたと考えられます。

 

アスリット・ラム内部の木造船体部

アスリット・ラムが古代地中海の戦闘用ガレー船の構造を理解するにあたって最も重要な鍵となった理由は、アスリット・ラムの内部にありました。ガレー船の船体の一部が残っていたのです。

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アスリット・ラム内部から見つかった、ガレー船の一部の実測図。(Steffy, 1994)
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アスリット・ラム内部の船体構造の簡略図。(Steffy, 1994)

ラムの内側は、基本的には左右のとても大きなウェール(下の図、黄色)に接しています。このウェールはガレー船の前後に通っています。ウェールの内側にはラミング・ティンバー(赤色)という核となる木材が中央にあり、このラミング・ティンバ―の後方には引っ掛かりがあり、この引っ掛かりが前方からの衝撃を左右のウェール(黄色)、ボトムプランク(水色)、キール(紫色)へ均等に、またラミング・ティンバ―上部のステム(船首)(オレンジ色)は下部がラミング・ティンバ―にはめ込まれており、前方からの衝撃を上方に転換する役目を担っています。またチョーク(緑色)とホーシング(青色)の部位も前方からの衝撃を緩衝材として受けつつ上方に分散する役割をしています。上方に転換た衝撃もステム(船首材)を介して外板列に伝わり、船体の後方に均等に伝えられると考えられます。

つまり、このアスリット・ラム内部から発見されたガレー船の船体構造には、古代の人々の卓越した造船技術が一端が見て取れるのです。内部構造は、ラミング(ラムによる追突攻撃)による前方からの衝撃を船体に均等に伝え、自船へのダメージを最小限に抑えるために完璧なものでした。裏を返せば、自船の運動エネルギーをラムの先端に集中させる構造になっているのです。これはまさに古代の戦闘用のガレー船がラムを兵器として使用していたことを裏付ける発見だったのです。

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私がi以前に研究の一部として再現したアスリット・ラム内部構造の3Dモデル。
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私が再現したアスリット・ラム内部構造の3Dモデルの展開図。

 

 

ペグド・モーティス・アンド・テノン接合

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アスリット・ラムの内部構造でみられるペグド・モーティス・アンド・テノン接合。 (Steffy et al,, 1983)

アスリット・ラム内部の木材はペグド・モーティス・アンド・テノン接合を用いて接合されていました。これらのことから、当時のガレー船は船体構造全体にペグド・モーティス・アンド・テノン接合を使用していたと推察されます。

 

 

アクティウム海戦の記念殿

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アクティウムの海戦で勝利したアウグストゥスが建てた記念殿。(Murray, 2014) (Drawing by N. Vagenas)

紀元前31年、エジプト・プトレマイオス朝の女王クレオパトラとマルクス・アントニウス(共和制ローマの政治家・軍人)およびその支持者の連合軍と、アウグストゥス(この海戦で勝利し、後に帝政ローマの初代皇帝となった)およびその支持者との間で「アクティウムの海戦」が勃発しました。

この戦いに勝利したアウグストゥスは、その勝利を祝い現在のギリシャ西部のニコポリス (Nikopolis) に記念殿を建てました。彼はこの海戦でエジプトのプトレマイオス朝と共和政ローマのマルクス・アントニウスの連合軍の艦隊から300もの戦艦を拿捕したと述べています。その中(拿捕した船、または破壊した船)から23個のラムを戦利品として記念殿の正面の石垣にはめ込みました。

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アクティウム海戦の記念殿の遺跡の写真。記念殿前方の壁には戦利品であったラムがはめ込まれていたソケットが見られます。(Murray, 2014)
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アクティウム海戦の記念殿前方の壁のラムがはめ込まれていたソケット。(Murray, 2014)

帝政ローマの初代皇帝となったアウグストゥスはおそらく、自らの戦勝を記念するものとして、奪い取ったラムの中でも大きなものを選んで記念殿に飾っていたと考えられます。そして驚くべきことに、これらの窪みとアスリット・ラムの大きさを比較したところ、飾られたラムのおよそ3/4がアスリット・ラムよりも大きなものであったことが判ったのです。(アスリット・ラムはトライリムか、漕ぎ座が4層 のクワドリリム(Quadrireme) 、または5層のクインクリム (Quinquereme) のものであったと考えられています。 )

この記念殿の遺跡から、依然として「ラム」や沈没船などは発見されていませんが、紀元前31年当時にトライリムよりもさらに巨大なガレー船が海戦に参加していたことが判ったのです。

 

 

まとめ

古代地中海の戦闘用ガレー船唯一の考古学的資料である「ラム」の内部から発見された船体構造の残存部分から、古代地中海のラムが高度に機能的に組み立てられていたことが判りました。またそこから「ラム」を備えたガレー船の兵器としての有用性も見えてきました。

次は古代地中海において古代ギリシャの後に地中海の覇者となったローマ帝国の船について見ていきましょう。

<ローマ帝国の船と港 (西暦42年~西暦500年頃)>

 

 

 

<参考文献>

MORRISON, J. S. (1995). The age of the galley: Mediterranean oared vessels since pre-classical times. London, Conway Maritime.

MURRAY, W. M. (2014). The age of titans: the rise and fall of the great Hellenistic navies. New York, Oxford University Press.

STEFFY, J. R. (1994). Wooden ship building and the interpretation of shipwrecks. College Station, Texas A & M University Press.

STEFFY J. R., POMEY, P., BASCH, L., and FROST, H., (1983). The Athlit Ram, The Mariner’s Mirror, 69:3, 229-250

 

 

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