1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見し、大航海時代の幕が開けました。その後多くの冒険家が当時の最新鋭の帆船を用いて地図の空白を埋めるための航海に乗り出したのです。
今回紹介する船は大航海時代(15世紀末期〜17世紀前半)のポルトガル・スペイン船。大航海時代初期はスペインがアメリカ大陸、そしてポルトガルがアフリカ大陸をまわってアジアの国々へと冒険へ乗り出していました。
特にヨーロッパ諸国のアジアへの航海はヨーロッパ経済においてとても重要でした。当時アジアへと出向した船にはヨーロッパの家具が積まれていました。それがインドで胡椒を中心とした香辛料にその一部が交換され、この香辛料とヨーロッパ家具は中国で中国産の絹と交換されました。中国産の絹は日本で大変な価値があり、日本の長崎や平戸で日本産の銀と交換されました。この日本産の銀は中国において「金」と高いレートで交換されました。中国からインドに出航したヨーロッパ船には金が大量に積まれ、そしてこれら金の一部はインドで再びは胡椒などの香辛料に交換されました。したがってアジア方面に家具を積んで出航したヨーロッパ戦は大量の金と当時大変な高価だった香辛料を積んで帰ってきました。この大航海時代の東回りのルートはヨーロッパ諸国に莫大な富をもたらしたのです。
さらに日本への航海は16世紀・17世紀のカトリック教会諸国にとって大きな宗教的意義がありました。16世紀のヨーロッパでは新たなキリスト教であるプロテスタントの各宗派が起こり、カトリック協会の威厳が失墜していました。この状況を打破するためにカトリック教会の中により厳しい戒律をもちカトリックの復興を目的とするグループが出てきました。これらの先頭に立っていたのが私たちもよく知るイエズス会なのです。カトリック教会に属していたポルトガルは多くのイエズス会宣教師を船に乗せて日本を目指したのです。
では、なぜ日本だったのでしょうか?
日本はマルコ・ポーロの東方見聞録によって14世紀の初めに、中国の東に浮かぶ文明国家「ジパング」としてヨーロッパ諸国に紹介されていました。つまり日本という場所でキリスト教を広めるということは、世界の隅々までキリストの教えを伝えることを意味し、これによって失墜したカトリック教会の権威の再興を目指したのです。
ここまでの説明でわかるように、ヨーロッパで起こった「大航海時代」は海の向こう側の出来事ではなく、日本史と密接な関係があったのです。まずポルトガル人は日本に鉄砲を伝え、イエズス会の宣教師たちはキリスト教を伝えました。これらは全て大航海時代の出来事でした。つまり「大航海時代の船」とは私たちのよぶ「南蛮船」なのです。
上の3Dモデルは私が大学生時代に大航海時代のフェルナンド・オリベイラ (Fernando Oliveira) による船の設計図The Livro da Februca das Naus (1580年)とマノエル・フェルナンデス (Manoel Fernandez) のLivro de tracas de carpintaria (1616年) を中心として復元したものです。戦国時代終期と江戸時代初期に日本人がみたヨーロッパの大型船はこのような姿をしていたのでしょう。大航海時代のヨーロッパ船、つまり南蛮船とはヨーロッパ史と日本史を繋いだ存在なのです。