トリニダード・トバゴ (2015)

ロッケリー・ベイ水中調査プロジェクト (Rockley Bay Research Project)

プロジェクトディレクター:ダグラス・イングリス (Douglas Inglis, Texas A&M University) 、ベロニカ・モリス (Veronica Morriss, The University of Chicago)

プロジェクトウェブページ

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2015年の夏にカリブ海の南部(ベネズエラの少し北)にあるトリニダード・トバゴで17世紀オランダ船の水中記録調査を行ないました。トリニダード・トバゴは、トリニダード島とトバゴ島からなる共和国で。今回はトバゴ島での発掘でした。

もともとこのプロジェクトはテキサス農工大の卒業生で、現在はコネチカット大学で教授をしているクルム・バチバロク博士が行っていたプロジェクトでつ。クルム博士が忙しく2015年の作業は中止になるところだったのですが、以前からのプロジェクトの参加メンバーだったダグとベロニカ(この二人はカップル)が引き継ぎ、2015年も水中調査を行うことになりました。そのダグから水中依頼作業の支援依頼があり参加することになりました。

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私が作成したオランダ沈没船遺跡、周辺の3D実測図。

この沈没船遺跡は、蘭仏戦争(1672~1678)が地中海まで飛び火して1677年にロッケリーベイで起こった海戦で沈没した船の一部です。岩とサンゴ礁からなる海底と波の影響で、船体は残っていませんが、散らばった大砲の遺跡と発見された積荷からオランダの船であることがわかっています。

 

このプロジェクトは2つの意味で私にとって特別なものになりました。

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ダグとベロニカ(中央)
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リンジーと私
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昔のように和気あいあいと作業。
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作業場

1つ目は、このプロジェクトのチームメンバーが私ととても仲の良い友達で構成されたことです。ダグと私は2009年に同時にテキサス農工大学の修士課程を開始し、もう一人のメンバーのリンジーとベロニカは一年前の2008年に修士課程を開始しました。リンジーとは2011年~2012年、同じ研究室の同僚でもあり、私とダグ、ベロニカとリンジーはとても仲が良く、週末はいつも一緒に飲みに行っていました。しかしながら、私は博士課程に進み、他の仲の良かった同僚は修士課程を終わり、2012年の終わりには離れ離れになってしまいました。

今回は私が大学院に入学したての時に仲の良かった同僚と、同窓会に参加したかように久しぶりに再会し、一緒に働くことになったという特別なものでした。水中考古学について殆ど何も知らなかった大学院1年目の自分達を知っているという間柄で、互いの成長を感じつつ昔話に花を咲かせながら、とても楽しく作業を進めることが出来ました。

 

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トバゴの子供たちに水中考古学ついて話している。
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大砲を使ったフォトグラメトリーの練習

そして2つ目は、自分の考古学者としての在り方を変えることになる、極めて重要な経験ができたことです。

トバゴ島の人たちのほとんどは黒人です。彼らの祖先はヨーロッパの奴隷貿易によって大西洋をわたりトバゴ島に連れられてきました。つまりオランダの沈没船は、彼らを連れてきた白人の文化遺産なのです。

さらに2015年のプロジェクトでは私のフォトグラメトリーをはじめ、他のレーザースキャンなどの機器を使い、水中遺跡と引き上げた遺物の3Dモデル作成しました。トバゴ政府もスポンサーとして協力していれたのですが、彼らとしては、これをアメリカやヨーロッパの国々から観光客を呼び込むための資源と考えていました。

また今回の調査の一環として、地元の小・中学校の生徒を呼び、オープンハウスを開き、私たちの調査についての課外授業を行いました。

なぜこれが私の考古学者としての考えを変えさせられる経験になったかというと、それは政府関係者の私たちに対するポジティブな姿勢と、なによりもオープンハウスに参加した子供たちの笑顔です。

実は私は、アメリカからの考古学チームの一員としてこのプロジェクトに参加することに少し不安を覚えていました。それはヨーロッパの沈没船は、彼らトバゴ島の人たちにとっては「負の歴史」の一部であり、私以外は白人で編成された水中考古学チームがいくらこのオランダの沈没船を「重要な歴史の一部」といったところで、彼らから見たら関係のない話なのではないかと感じていたからです。

しかしながら、子供たちは、水中から引き揚げられた積荷と、私達の作った遺跡の3Dモデルをキラキラとした目で、興奮しながら楽しんでいました。そして大人たちはこの水中遺跡を新たな観光資源の一部にしようとして私たちの活動を心からサポートしていました。

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発掘チームのベース(外観)
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私たちの発掘チームのベース(内部)

このことを経験をするまで、私は「典型的な考古学者」の一人でした。
私はそれまで、人々に歴史を伝えるために、発掘された遺跡を綿密に調査し、出来るだけ正確な情報を伝えようと努めていました。

しかしながら、トバゴの子供たちの水中遺跡を見る目は、沈没船にまつわる負の歴史などに関係なく、自分たちの住む場所の近くの水中から発掘された珍しく楽しいものとしてとらえたものでした。

私たち考古学者には極力精確に「隠された歴史の真実」を解明し、それをほかの人たちと共有するという重要な義務があり、そのために何年も訓練してきています。しかしながら、今回気付かされたのは、この「義務感」は考古学者の「エゴ」に過ぎないのではないかということです。

もちろん考古学者は歴史を明らかにし、それを人々に精確に伝え共有する責任があります。しかしそのため、多くの考古学者は、精確な情報がわかるまで(誤った情報を拡散させないために)、その遺跡に関する情報をあまり外部と共有しないという悪しき傾向があるのも事実なのです。

この発掘調査を通じて気づかされたのは、発掘された遺跡がどのようなものか解釈することを考古学者だけではなく、地元の人々にも担ってもらっても良いということです。人々にはそれぞれものに対する理解の仕方があり、それは考古学者が無理に決めなくてもよいことなのです。

そのためには、考古学者は歴史を紐解く「通訳者」だけではなく、人々と遺跡をつなぐ「橋渡し」でなければなりません。

子供たちが水中考古学について学んでいる時の笑顔は忘れられません。このプロジェクトを通じて私は、人々の文化遺産を守り、それを人々と共有することが出来る能力を備えた考古学者になろうと決めました。

 

 

次の発掘プロジェクト

シェルボーン蒸気船の墓場遺跡発掘プロジェクト(アメリカ:2015年・2016年)

 

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