ここでは世界最古の沈没船として知られるウルブルン沈没船 (Uluburun Shipwreck) をみていきます。


ウルブルン沈没船の水中発掘調査は1984年から1994年まで11年かけて行われました。毎年約3ヶ月間の水中発掘が行なわれ、各ダイバーが1日2回潜水作業を行い、その合計潜水作業は約23,000回におよびます。そして現在でも発見された遺物の保存処理と研究が続いています。
ウルブルン沈没船は水深約45mの急斜面の中腹に位置し、散乱している積み荷が深いところでは水深約61mから見つかっています。


ウルブルン沈没船水中遺跡は傾斜の急な斜面上にあるため、下部に積まれた積荷はそのままの場所で発見されましたが、上部に積まれた積荷はスライドして斜面の下方に移動していました。

ウルブルン沈没船の主な積荷は銅のオックス・ハイド・インゴットで総数354個が発見されています。その他にも球型の銅のインゴット(121個)や錫のオックス・ハイド・インゴット、その他の種類のインゴットも見つかっています。特に錫のオックス・ハイド・インゴットはあらかじめ小さく割られた状態で見つかっていました。錫は銅と合わせてその合金である青銅を鋳造するのに使います。錫のオックス・ハイド・インゴットを効率よく売るために小さく割っていたと推測されます。

また、ウルブルン沈没船からは170個ものガラスのインゴットも発見されました。このインゴットは直径が約15㎝程でコバルト・ブルーを主体に、ライト・ブルー、紫色、黄色などの様々の色のものが発見されています。これらの色付きのガラスはそれぞれラピスラズリ、トルコ石、アメシスト、琥珀に似せたガラス製のビーズアクセサリーなどをつくるのに重宝され、古代エジプトやミケーネ文明の都市で需要がありました。

カナン壺(Canaanite jars)も約200個発掘されました。発見されたカナン壺には、その半分以上に固まった松ヤニが入っていました。興味深いのは入っていた松ヤニの中からカタツムリの死骸が見つかったことです。これらは松ヤニを木から採取する際にまぎれてしまったカタツムリだと思われるのですが、そのカタツムリの種類がとても珍しく、イスラエルの死海の北西部のみに生息する種だったのです。このことからウルブルン沈没船のカナン壺で運ばれていた松ヤニがイスラエル北部の原産であることが判明しました。

数と種類が多すぎてここで全てを紹介することはできませんが、ほかにも素晴らしい工芸品や貴金属が発掘されています。その一部を紹介します。次の写真をご覧ください。








この他にも考古学上重要な積み荷として、象牙とカバの歯、黒檀(アフリカ原産の貴重な木材)、装飾品としてのダチョウの卵の殻、大型の運搬用の壺(中からさらに様々な土器や器が見つかった)、銅製の器や鍋、女性の頭を模った祭儀用の杯、象牙製の置物、木製の小箱、ガラス製の指輪、金の杯、金や銀の装飾品ガラス製ビーズ、琥珀製のビーズなどが挙げられます。
これら発掘された積み荷(貿易品)から、このウルブルン沈没船が、前述のケープ・ゲラドニア沈没船と全く異なる性格をもった商船であることがわかります。ケープ・ゲラドニア沈没船は主に銅のオックス・ハイド・インゴットや壊れた銅器などの原材料品を運んでいました。各都市の港を巡りながらその地で積み荷である原材料品を販売し、また局面によっては製品を作ったり直したりしながら航海をしていたと考えられます。一方、ウルブルン沈没船は高級品を運び、各都市の王族や貴族などを相手に取引をしていた貿易商船であったと考えられます。
また他にもウルブルン沈没船からはキプロス島・カナン地方(フェニキア文明圏)の単位を用いた天秤計りの重り、カナン地方製のオイルランプ、象牙の船上で使う祭器、ミケーネ製の土器や青銅の剣、ミケーネ製のカミソリ、ミケーネ製の短刀などが発見されました。
天秤計りの重りや祭器がカナン地方(フェニキア文明圏)のものであったことから、沈没船がカナン地方の商船であったことが考えられます。また複数の武器がミケーネ製であったことから、卓越風にのって東から西に旅をしていたこの船には、ミケーネ文明圏の都市に帰るためのミケーネ人が乗船したいたか、商品の護衛として雇われたミケーネ人兵士が乗り組んでいたと推察されます。

さらにこの沈没船遺跡から24個の石の錨も発見されています。古代の船は現在の船と違い沢山の錨を積んでいました。昔は現在の錨のような丈夫な鎖やケーブルはなかったので、ロープで錨を船と繋いでいました。このロープが切れてしまうことがよくあったため、錨が紛失したときに備え、いくつも錨を積んでいたのです。また嵐や海賊などの襲撃などで、急な出発や移動を余儀なくされた場合、錨を引き上げるのではなく、ロープを切断して錨を破棄したようです。またこれらの錨は船の中心部に積まれていたため、予備の錨としての役目以外にもバラスト(船を安定させるために積んでいる重り)としても利用されていたようです。
ウルブルン沈没船の造船技術


ウルブルン沈没船遺跡には船体の部材はほとんど残っていませんでした。しかし幸運なことにキール(竜骨)と外板の一部が残っていました。ここから当時の船がどの様に建造されていたかが解明されたのです。
残っている船体の一部の断面図をみてみましょう。このキール(Keel: 竜骨)の形状で注目すべき点はキールの上部が船の内側まで飛び出ていることです。これは後にご紹介する他の沈没船の構造と対比しても極めて珍しい形状となっています。この後の時代の船は竜骨の最上部にガーボード(Garboard: 竜骨翼板)が接続されているのですが、ウルブルン沈没船ではキールの中央部にガーボードが接続されているのがわかります。これによってキールの上部が船内に飛び出ている形状になり、これをインターナル・キールと呼びます。この形状はフェニキア文明の都市国家の一つビブロスから発掘された船の粘土模型ににも見られ、この時代のフェニキア文明圏で造られた船のキールはこのような形状であったとかんがえられます。

ウルブルン沈没船の船体の残存部分で最も注目すべき点は外板同士の接合方法です。まず隣り合う箇所の外板にモーティスと呼ばれる穴(ほぞ穴)を掘り、その中にテノンと呼ばれす木の板(ほぞ)を挿入して、外板同士を接合します。この方法は古代エジプトのクフ王の船やダッシャーボートと同じ接合方法で、モーティス・アンド・テノン接合(ほぞ継ぎ)と呼ばれます。さらにこの沈没船の外板はペグと呼ばれる木釘でテノンを外板に留めています。このペグで補強した接合をペグド・モーティス・アンド・テノン接合と呼びます。

このペグド・モーティス・アンド・テノン接合は、船の外板同士の接合を造船工程の最初(第一)とする「外板中心」のシェル・ファースト・コンストラクション(Shell first construction)の一つで古代船の代表的な造船方法の一つとなっています。(古代船に見られる外板同士の接合を第一としたシェル・ファースト・コンストラクションに対し、現代のフレーム(助骨)を外板よりも先に組み立て外板をフレームに接合する造船方法をフレーム・ベースド・コンストラクション(Frame based construction)といいます。)


また、船体の上部に位置する場所からは柵に似た木材も発掘されました。おそらくこれはケナムン(Kenamun)の墓のレリーフ画に描かれた、船のデッキから人や積み荷が落下するのを防ぐためのウェザーフェンシングの名残りだと推測されます。


水中考古学者が11年の歳月をかけて、正確な沈没船遺跡の実測図を作成したことにより、どのような積み荷がどの様に積まれていたかが分かりました。積み荷の発見場所とその重量の分布から、船の全長も約15mと算出されました。わずかな木片しか残っていなかったとしても、その他の沈没船遺跡の調査結果や資料から可能な限り当時の船の様子再現することが可能になります。

さらに発掘された積み荷を丁寧に保存処理を施し、最新の科学技術で成分などを分析することによって、どこで産出された材料を使用し加工されたのかまで明らかになりました。
このウルブルン沈没船はフェニキア文明圏のカナン地方の都市国家を母港とした商船でした。東地中海を反時計回りに旅をしながら、その途中様々な古代都市で交易をしていたようです。炭素年代測定と壺やその他の積み荷の形状から紀元前1300年前に沈んだ船であることもわかりました。東地中海の紀元前1300年前といえば、陸上の考古学ではギリシア神話や叙事詩に登場してくるような時代です(トロイの木馬で知られるトロイア戦争が、一説では紀元前1250年頃といわれています)。船体の木材や松ヤニの中のカタツムリなど有機物がこのような保存状態で見つかること自体が水中考古学ならではのことです。また積み荷の産出地を分析することによって、上図のように、当時の東地中海の交易の様子が浮かび上がってきました。このように様々な交易の商品が一つの遺跡から発見されることも沈没船の考古学の面白さではないでしょうか。
まとめ
このウルブルン沈没船は、ジョージ・バス博士の愛弟子の一人で現在テキサス農工大学で教授を務めているジュマール・プラーク博士が11年かけて発掘しました。プラーク博士が率いる水中考古学者チームが正確に水中発掘を行い、それに基づいて様々な研究を行ったことにより、一つの沈没船遺跡から驚くほど様々な歴史の謎が解明されることになりました。
このウルブルン沈没船の研究で明らかになった当時の交易の様子が、現在の考古学界で、青銅器時代における古代東地中海に存在した様々な文明間の交易の定説となっています。一つの沈没船遺跡から何百年・何千年前の様々な歴史が見えてくる。これこそ船舶・水中考古学の醍醐味の一つです。
つづいては少し時代を進めて、紀元前800年頃から紀元前450年頃の古代地中海における古代ギリシャ文明、フェニキア文明圏、エトルリア文化圏の沈没船について見ていきましょう。
<古代ギリシャの造船技術 (紀元前800年頃~紀元前450年頃)>
<参考文献>
BASS, G. F. (2005). Beneath the Seven Seas: Adventures with the Institute of Nautical Archaeology. New York, Thames & Hudson.
THROCKMORTON, P. (1987). The Sea Remembers: From Homer’s Greece to the Rediscovery of the Titanic. London, Bounty Books.
WACHSMANN, S. (2009). Seagoing ships & seamanship in the Bronze Age Levant. College Station, Texas A & M University Press