ここでは実際に発掘された沈没船遺跡から古代ローマ帝国の船がどの様に造られていたか、その建造技術を見ていきましょう。
マドラグー・デ・ジアンズ沈没船(紀元前50年頃)

1967年に南フランスで「マドラグー・デ・ジアンズ沈没船 (Madrague de Giens wreck) 」が発見されました。その後1972年から1982年にかけて発掘されたこの沈没船は、これまで発掘されてきた古代船で最大の古代ローマ帝国のワイン輸送船であることが判りました。全長約40mのこの輸送船は最大幅が9mで、長さと幅の比率が4.4:1と長細い船でした。(古代の他の輸送帆船は概ねその比率が3:1です。)
ローマ帝国のワイン輸送船

主要な積み荷はワインが入ったアンフォラ(壺)でした。この沈没船はその大きさから約5800個から8000個ものアンフォラを輸送していたと考えられています。ワインの入ったアンフォラは重さが1個で約50㎏になり、積荷のワインだけでも約400トンもの重量がありました。これら巨大な輸送船はローマ帝国では「マイリオフォロイ (Myriophoroi: 10,000壺輸送船) 」と呼ばれていました。

積み荷のアンフォラは直立した状態で互いに寄りかかるように隙間なく積まれていました。アンフォラは3層に積み重ねられており、その積み方は船倉の場所によって変えられていました。このように積み方を場所によって変えながら隙間なく積むことは、波の影響を受ける外洋の輸送船では特に重要でした。
アンフォラや積み荷の3分の1はマドラグー・デ・ジアンズ沈没船が1967年に発見されたときには既に引き上げられていました。沈没船が発見された時点での状態と、船からも錨などのリサイクル可能な部位が無くなっていたことなどから、この引き揚げ作業は、船が沈没した直後(紀元前50年頃)に行なわれていたと考えられます。
古代ローマにはユリネトレス (Urinatores) と呼ばれる潜水士(ダイバー)がおり、彼らは職業として、荷主の依頼によって、沈没した船から積み荷を引き上げていました。この沈没船は水深約18mに沈んでいます。記述によるとユリネトレスは水深約30m地点まで潜って作業が出来たとあります。
ビルジ・ポンプ (Bilge pump)

マドラグー・デ・ジアンズ沈没船の発掘における重要な発見の一つに「ビルジポンプ (Bilge Pump)」 があります。ビルジポンプとは船の最下層から水を汲みだして(吸い上げて)船外に捨てる役目(排水)を担うポンプで、特に大きな船において、極めて重要な装備のひとつになっています。大型の木造船では外板の隙間などからの浸水が避けられません。そのため、なんらかの排水のための装備・方法が必要になります。ローマ帝国の記述には船のビルジポンプに関するものは見つかっていませんでした。そのような中でマドラグー・デ・ジアンズ沈没船からビルジポンプの一部が発見されたのです。

さらに興味深かったのは、そのポンプの種類でした。この沈没船で発掘されたビルジポンプは「チェインポンプ (Chain Pump) 」と呼ばれる方式のものでした。チェインポンプは、それまではヨーロッパで14世紀に発明されたものだと考えられていたのです。チェインポンプとは、弁の付いたチェーンが回転して船底の水を汲み上げ、密閉された木のチューブの中を通して甲板まで運び揚げる装置です。汲み上げられた水は甲板から船外に排出されます。
スリー・ピース・キール (Three-piece keel)

マドラグー・デ・ジアンズ沈没船から発見されたキール(竜骨)はスリー・ピース・キールと呼ばれるもので、ローマ帝国の船と初期の中世地中海の船でよくみられる構造をしています。スリーピースとはこのキールが船底中央部・船首付近・船首付近で異なった角度をしてことに由来しています。
また、この沈没船のキールは通常(船体底部)で3層、船首と船尾の部分では4層になっており、各木材同士のかみ合わせが確実に行われるよう複雑な形のスカーフ(継ぎ目)で繋ぎ合わされています。

ダブル・プランキング(二層外板)

外板同士の接合にはペグド・モーティス・アンド・テノン接合が使われており、このマドラグー・デ・ジアンズ沈没船が外板部が造船工程の核となるシェル・ベース・コンストラクションの船であることが判ります。
この沈没船のような巨大船は大量の積荷を運びます。そこで、船の内部(積み荷の重量)と外部(波やそれによる船体の歪み)から受ける大きなストレスに耐えるため、船体を小型の船より格段に丈夫に造らなければなりません。
そのためにキールを3層(スリー・ピース・キール)にして外板部を厚くする必要がありました。外板の厚みを増す手段として、大きな木材を使う代わりに外板部を2層する方法が採られました。2層外板のメリットとして、使用される板1枚分の木材は小さくて済むため材料費が抑えられ、また板も曲げやすくなるので建造が容易になります。船の修理の際にも、内側は残して、ダメージや劣化の大きい外側の層を交換すれば済むので作業が簡単になります。
2層の外板の間にはコルキング (Caulking) とよばれる防水のために油(タール)に漬けられた繊維が挟み込まれ、外板の外側にもさらに防水とフナクイムシ対策を兼ねた薄い金属(錫)膜(レッド・シーシング: Lead sheathing)が張り付けられていました。
マストステップとフレーム

マドラグー・デ・ジアンズ沈没船からは極めて大きなマストステップも発見されました。フレームも「キレニア沈没船」のようにフロア・ティンバーとハーフフレームが交互に配置されており、その間隔もキレニア沈没船と類似のものになっています。

内側の外板はフレームに木釘で留められており、外側の外板はフレームに鉄釘で留められていました。
ポンタ船

この沈没船の船首底部は水切りのような形で終わっており、古代ローマ帝国で使われていた外洋商船の「ポンタ船」であったと考えられています。

上の図はモザイク画のポンタ船(上)とマドラグー・デ・ジアンズ沈没船の側面図の再現(点線)部分(下)を重ね合わせたものです。キールと船底部の形状(スリーピースキール)、ならびにマストの位置と排水ポンプのシャフトの位置が酷似しています。
マドラグー・デ・ジアンズ沈没船からは帆やそれを操るための索具は見つかっていません。しかしポンタ船のモザイク画の帆はブレイルセイルが使われており、マドラグー・デ・ジアンズ沈没船もブレイルセイルを備えたローマ帝国の巨大外洋帆船であったと考えられます。
まとめ
マドラグー・デ・ジアンズ沈没船の発掘研究から、古代ローマ帝国のポンタ船がどの様に造られていたかが見えてきたことでしょう。ビルジポンプに加えスリー・ピース・キールやダブル・プランキングなど、より複雑な造船技術も登場してきました。なにより全長40mにもなる古代船の沈没船が実際に発見されたことは考古学者にとっても驚きでした。
古代エジプトのオベリスク輸送船や古代ギリシャのスーパーガレー船など、船の描写や記述からはさらに大きな船の存在も示唆されていたのですが、実際の考古学的資料として発見された古代船の沈没船ではこのマドラグー・デ・ジアンズ沈没船が最大のものとなります。
また、大きな船になるほど造船の費用と沈没時の損失は大きくなります。それにも拘わらずこのような巨体船が貿易で運航されていた事実をみると、古代ローマ帝国の繁栄の大きさが伝わってきます。
「古代」の地中海世界における船と沈没船の旅はここで終わりです。次の章から「中世」の地中海における沈没船と造船技術をめぐる旅を続けていきましょう。最初は東ローマ帝国と呼ばれたビザンティン帝国の初期の船について見ていきます。
<中世地中海の船、東ローマ帝国とヤシ・アダ七世紀沈没船(西暦625年頃)>
<参考文献>
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