古代船研究の最高峰、キレニア沈没船(紀元前290年頃)

ここでは私たち水中考古学者の沈没船研究の教科書となっている伝説の学術研究「キレニア沈没船」についてみていきます。

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復元されたキレニア沈没船のイラスト。(Bass, 2005) (Illustration courtesy Richard Schlecht)

沈没船研究の創始者、リチャード・ステッフィー

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キプロス島のキレニア城でキレニア沈没船の組み立てを行っている沈没研究の創始者、リチャード・ステッフィー教授。 (Steffy, L., 2012) (Photo courtesy Susan Katzev)

最初にキレニア沈没船の研究を行った伝説の船舶考古学者、リチャード・ステッフィー教授についてお話します。「ケープ・ゲラドニア沈没船」の章で紹介したジョージ・バス博士は、それまでは「学問」とはみなされていなかった「水中考古学」を陸上で行われていた「考古学」の水準まで引き上げ、その地位を確固たるものにした学者でした。しかしながらバス博士の発掘は、水中遺跡の発掘の方法論の確立と積み荷の研究にとどまっていました。

それに対しリチャード・ステッフィー教授は発掘された沈没船をどの様に研究すればよいか、さらにどうすれば沈没船の元の形を再現できるかなどの「沈没船の研究の方法論」を作り上げた人物なのです。

現在、私たち研究者の間では常識となっている古代船のシェル・ベース・コンストラクション (Shell based construction) と、中世以降現在まで続くスケルトン・ベース・コンストラクション (Skeleton based construction) という二つの基本的な造船技術。ステッフィー教授が1972年にキレニア沈没船の研究を開始するまで、古代船がどの様に造られていたかなど誰も考えていませんでした。

彼のキレニア沈没船の研究成果により、古代船が現在とは全く違ったコンセプト(工程)で造られていたことがはじめて判ったのです。その後、彼の研究をなぞって他の考古学者も沈没船の研究を始めました。考古学の一部分であった水中考古学(水中にある遺跡)研究から「沈没船研究(船の考古学)」という「船」に特化した研究分野を生み出したのがステッフィー教授です。

彼は1976年にジョージ・バスがテキサス農工大学 (Texas A&M University) に招待され船舶考古学学科を大学院に新設するのに同行し、テキサス農工大学船舶考古学学科の初代教授の一人となりました。同時に沈没船復元再構築研究室 (Ship Reconstruction Laboratory) を開き、初代の研究室長に就任しました。(沈没船復元再構築研究室の現在の室長(3代目)が私の師匠であるカストロ教授です)。

ステッフィー教授の研究分野は古代船のみに留まらず、その復元再構築の方法論を用いて、古代船から19世紀後半(蒸気船が誕生した時代)までの「船の歴史と進化」の研究を行い、彼の著書「Wooden Ship Building and the Interpretation of Shipwrecks(木造船の造船技術と沈没船の研究)」は、現在、沈没船を研究する世界中の水中考古学者の教科書となっているのです。残念ながら、ステッフィー教授は2007年に亡くなりましたが、今日でも沈没船研究を行う研究者の間では沈没船研究の創始者として最も尊敬されている人物なのです。ステッフィー教授は数ある偉大な考古学者の中でも私が最も尊敬する学者であり、同時に学者としての目標なのです。

キレニア沈没船(紀元前290年頃)

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キレニア沈没船はキプロス島の北部沿岸のキレニアで発見されました。(Google Maps)
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キレニア沈没船の水中発掘。(Steffy, L., 2012) (Photo courtesy Susan Katzev)

1965年に地元のスポンジ漁師のダイバーによって水深約27mの海底で発見されたキレニア沈没船は、1968年から1969年にかけて、後にテキサス農工大学の船舶考古学学科を開設することとなるINA (Institute of Nautical Archaeology: 船舶考古学研究所)によって発掘されました。

その後、10年以上の時間をかけ保存処理と分析研究が行なわれたキレニア沈没船は、現在、キプロス島にあるキレニア城の博物館に展示されています。年輪年代測定法によると、この船は紀元前325年頃につくられ、その積み荷などから紀元前290年頃に沈んだギリシア文明圏に属する船であることが判っています。現存する最も保存状態のよい古代ギリシャ文明の沈没船として知られています。

船体の写真

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キレニア城の博物館内で再び組み立てられたキレニア沈没船。(Steffy, L., 2012) (Photo courtesy Susan Katzev)

積み荷は404個のアンフォラや29個の石臼です。極めて重く、その重量ゆえに船体が砂地の海底に埋もれていたため保存状態がとても良好で、キール(竜骨)全体と船首の半分、マストステップ、22列の外板、シーリング・プランキング(Ceiling Planking: 船体内部に床としてひかれた板。積み荷の重さによる船体へのダメージを防ぎます。)などの部位も残っていました。

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キレニア沈没船の復元された船型図。(Steffy, 1994) (Drawing by J. R. Steffy)

復元された全体図によると全長が約14mで最大幅4.4mになります。排水量は33トン、最大積載量が25トンになります。

ロッカード・ラベテッド・キール

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キレニア沈没船のキール。(Steffy, 1994) (Drawing by J. R. Steffy)
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キレニア沈没船のキールに彫られたラベット。(Steffy, 1994) (Drawing by J. R. Steffy)

キレニア沈没船のキール(竜骨)は側面からみると真っ直ぐではなく、曲線を描いています。この形状のキールを「ロッカード・キール (Rockered keel) 」と呼びます。

キレニア沈没船のキールには船の進化という点で非常に重要な技術が見て取れます。上(2番目)のキールの断面の図を見ていただくと、キールの上面がガーボード(竜骨翼板)を受け止めるための溝が前もって掘られているのがわかります。この溝を「ラベット (Rabbet)」、ラベットが彫られたキールを「ラベテッド・キール (Rabbeted keel) 」といいます。キレニア沈没船以降の時代の西洋の船には必ずといっていいほどラベットが見られ、この特徴(ラベットが在るか無いか)がキールかその他の部分の木材かを見分ける目安となり、研究者の発掘の手助けになります。

ワイングラス・シェープ・ハル

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キレニア沈没船の中央部のセクション (断面) 図。(Steffy, 1994) (Drawing by J. R. Steffy)

キレニア沈没船は前章で見たマアガン・ミケル沈没船よりもキール(竜骨)が下方に飛び出た造りになっており、より美しいワイングラス・シェープ・ハルを持っています。この形状よりキレニア沈没船も秀逸な帆走能力を持った船であったと推測できます。

ペグド・モーティス・アンド・テノン接合

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船大工によるモーティス・アンド・テノン接合の再現。(Bass, 2005)  (Photo by Ira Block)
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キレニア沈没船のペグド・モーティス・アンド・テノン接合。(Steffy, 1994) (Drawing by J. R. Steffy)

外板はペグド・モーティス・アンド・テノン接合を使い組み合わされいました。外板自体の厚みは約4㎝で、テノンは約11.7cm間隔で埋め込まれ、その大きさは縦16㎝・横4.3cm・厚さ0.6cmでした。

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キレニア沈没船のペグド・モーティス・アンド・テノン接合の配列。(Steffy, 1994) (Drawing by J. R. Steffy)

外板の強度を保つためにテノンもランダムに埋め込まれているのではなく、上の図のように一つ前の外板列とずらした位置になるように計算されていました。

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キレニア沈没船に見られるモーティス・アンド・テノン接合の向き。(a)が造船時で(b)が修復時のものと考えられます。 (Steffy, 1994) (Drawing by J. R. Steffy)

外板の長さが足りない場合は、短い外板同士を斜めの切り込み(スカーフ)で繋ぎ合わせて長さが十分な外板列が形作られています。キレニア沈没船ではこのつなぎ目内部のテノンが上の図の (a) の様式をとっており、これは外板を内側から徐々にはめ込み船体を組み立てていたことを示しています。(外板を徐々に組み立てていた場合は板を外から垂直にはめ込まないといけないためです。)

一方で (b) の例は、ある程度計画して、前もって外板列を組み合わせてから、その外板列を船体に組み込んでいたことを示すものとなっています。船の外板の修理など使われた部分にこの (b) の様式が見られることが多く、(b) が多い古代船は、沈没するまでに長年使われていた船だとわかります。キレニア沈没船でも船の外板の大部分は (a) ですが、所々に (b) が見られるため、修理を繰り返し施されながら長年使われた船であっと考えられています。

フレーム

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キレニア沈没船のフレーム発掘時の実測図 (Steffy, 1994) (Drawing by J. R. Steffy)

キレニア沈没船は全部で56本のフレームを持っていたと考えられています(発掘時まで残っていたのは41本のみでした)。フレームは各25㎝間隔て設置されていました (マアガン・ミケル沈没船は75cm間隔でした)。キレニア沈没船のフレームは下の図の (a) フロア・ティンバーと (b) ハーフ・フレームが順序良く整然と設置されており、外板部が造船の核をなすフレーム・ベースド・コンストラクションにもかかわらず、フレームの役割が造船の中で徐々に重要になってきていたことを示しています。

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キレニア沈没船のフレームの構造。(a)フロアティンバーと(b)ハーフ・フレーム。(Steffy, 1994) (Drawing by J. R. Steffy)
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ダブル・クランチド・ネイル。(Steffy, 1994) (Drawing by J. R. Steffy)

フレームは銅釘のダブル・クランチド・ネイルで外板に留められていました。フレームの設置場所が決まると、直径1~2㎝の穴が外板外部から外板とフレームを通すように掘られ、そこに外部から銅釘が打ち込まれ、内側に飛び出た部分を二回折り畳み固定していました。この釘は船体の中央部を向くように折りたたまれていました。

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シーリング・プランキングの復元展示の作業。フレーム表面に銅釘のダブル・クランチド・ネイルがみれます。(Bass, 2005) (Photo courtesy Susan Katzev)

ウェール

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キレニア沈没船の断面図。右側上部の外板部に二つのウェールが見れます。(Steffy, 1994) (Drawing by J. R. Steffy)

キレニア沈没船は保存状態が極めて良好であったため、古代船の造船技術を理解するうえで重要な発見もありました。上の図は船を輪切りにした断面図なのですが、図の向かって右側のフレーム丈夫の(フトック)外板部の板が2カ所、他の外板よりも厚くなっているのがわかります。これはウェール(Wale: 外部腰板)といわれる部位で、他の外板列よりも厚みのある頑丈な外板列が備え付けられています。このウェールがある箇所は、ちょうど船の喫水部分(水面の高さ)にあたり、波や水圧による外部からのストレスが高くなる場所です。その場所を補強するためにウェールを設置することによって船の外板全体を補強しているのです。キレニア沈没船からは2つのウェールが発見されています。

古代ギリシャ ホルカス 水中考古学
キプロス島から発掘された紀元前500年頃の古代ギリシャ船の模型。(Bass, 1974)  (Image courtesy Metropolitan Museum of Art, New York, the Cesnola collection)

興味深い点は、以前に紹介したキプロス島から発掘された古代ギリシャ船の模型(紀元前500年頃)にもウェールと思われる隆起が2つ外板上部にみえたことです。キレニア沈没船以前にも古代ギリシャの船は2つのウェールを持っていたのかもしれません。

シーシング

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キレニア沈没船のシーシング。(Steffy, 1994) (Drawing by J. R. Steffy)

発掘された船の外板の外側にはレッド・シーシング(Lead sheathing: 鉛の板金 (薄い金属板))が発見されました。シーシングは船内への水漏れを防ぐ役割と同時に、フナクイムシやフジツボなどの海洋生物による外板への被害を防ぐために備え付けられていたと考えられています。この鉛製のシーシングは厚さが1mm、幅(キールから側面船底部まで)1.3m程で見つかっており、その重量は600㎏を越えていたとされるため、このレッド・シーシングがバラスト(船を安定させるための重り)の役割もはたしていたのではないかと考えられています。このレッド・シーシングは銅ピンによって船体に留められていました。

積み荷

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キレニア沈没船から発掘されたアンフォラ (壺)。(Bass, 2005) (Photo courtesy Susan Katzev)

キレニア沈没船から発掘された積み荷の大部分がアンフォラ(壺)です。発見された404個のアンフォラのうち、343~360個のアンフォラがロードス島製のものでした。次に多く見つかったのがサモス島製の甕(jars: かめ)でした。このことから、キレニア沈没船がサモス島を出航し、南下してロードス島で積荷(おそらくロードス島の名物であったワイン。発掘されたアンフォラは空でした。ここからアンフォラの中身がワインやオリーブオイルなどの液体であったことが考えられます。)を積んでキプロス島に到着する直前に沈没してしまった古代ギリシャの船であったと考えられます。

船体に使用された木材はサモス島にも近い、現在のトルコのエーゲ海沿岸が産地であったと判っています。よって、エーゲ海に面する現在のトルコ西海岸や、それに近い島にキレニア沈没船の母港があったと考えられています。

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キレニア沈没船の船尾近くから発掘されたキッチン用品。(Bass, 1974) (Photo courtesy Susan Katzev)

また船尾近くからは様々なキッチン用品が見つかっています。船尾近くは船員の生活エリアと考えられるので、これらキッチン用品は船員の所有物であったと考えられます。興味深いのは皿やコップやスプーンが各4個づつ発見されたということです。このことからキレニア沈没船には4人の船員が乗っていたと考えられています。

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キレニア沈没船の外板外部から発見された鉄の尖頭。(Bass, 2005) (Photo courtesy Susan Katzev)

さらに興味深いのは、キレニア沈没船の外板外部から、8つもの鉄製の槍の尖頭が発見されたことです。キレニア沈没船の積荷からは高価な品物や船員の所有物は全く発見されませんでした。推察にすぎないのですが、これらの状況から、沈没は嵐などによるものでなく、当時の海賊に襲われて意図的に行われたものではないかとも考えられているのです。

実物大再現船

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建造中のキレニア沈没船の復元再現船のキレニアⅡの内部。(Steffy, L., 2012)  (Photo courtesy Susan Katzev)

1987年にキレニア沈没船の発掘と研究の結晶として、実物大の再現船が当時の造船技術を用いて造られました。この船はキレニアⅡと名づけられ(キレニア沈没船がキレニアⅠ、再現船が「Ⅱ」と名づけられました)。

キレニアⅡはキプロス島からギリシャのアテナまで、4人の乗組員と共に航海に成功しました。キレニア沈没船から(古代エジプトの章でも紹介した)ブレイルセイルに使用するブレイルリングが144個も発掘されていたため、キレニアⅡの帆にはブレイルセイルが採用されました。

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帆走中のキレニア沈没船の復元再現船のキレニアII。(Bass, 2005) (Photo courtesy Yiannis Vichos)

まとめ

水中の沈没船遺跡を陸上遺跡と同じ水準で発掘研究する水中考古学はジョージ・バス博士の功績によって1960年代初頭に確立されました。

そして古代船(または歴史上の船)の構造や性能を研究する「船の考古学」または「船舶考古学」は1970年代初頭のキレニア沈没船の発掘と研究がその始まりとされています。リチャード・ステッフィー教授によって行われたキレニア沈没船の研究によって「船の歴史を学ぶ」学問が誕生したのです。

その後、キレニア沈没船の研究を範として各国でも1970年代後半のボン・ポーテ沈没船や1980年代のマアガン・ミケル沈没船の研究などが行われ、古代の人々がどのような技術を駆使して海を越え、他の文明との交流してきたかが明らかになってきたのです。

しかしながら水中考古学は誕生して50年足らず、船舶考古学は誕生して40年足らずのとても日の浅い学問です。私たち水中考古学にも判らないことが山積しています。ここ10年で海洋探査の技術も急速に進化し多くの沈没船が発見されています。

これからもパズルピースを嵌めるように多くのことが明らかになってくることでしょう。私も船の歴史に興味を持つ人間としてこれらの発見を楽しみにしています。

さて、ここまでは古代地中海における「商船」の沈没船とその歴史を見てきました。商船は多くの積荷を搭載し効率よく遠くまで運ばなければなりません。そのために帆船であることがほとんどでした。

それら商船が往来した古代の文明圏の海において、安全な航路と維持するためには海軍と戦闘用の船が必要でした。当然ながら古代地中海にも戦闘用の船がありました。戦いには船の瞬発的な加速力と操縦性が何よりも重要になってきます。そのためこれらの戦闘用の船は漕ぎ手のオールによって推力を得ていた「ガレー船」が使用されていたのです。

次は古代地中海におけるガレー船の進化について見ていきましょう。

<古代地中海の戦艦、ガレー船の誕生と進化 (紀元前1100年頃~紀元前500年頃)>

<参考文献>

BASS, G. F. (2005). Beneath the Seven Seas: Adventures with the Institute of Nautical Archaeology. New York, Thames & Hudson.

BASS, G. F. (1974). A History of Seafaring Based on Underwater Archaeology. London, Book Club Associates.

STEFFY, J. R. (1994). Wooden ship building and the interpretation of shipwrecks. College Station, Texas A & M University Press.

STEFFY, L. C. (2012). The man who thought like a ship. College Station, Tex, Texas A & M University Press.