バイキング船考

今回10日間ほどロスキルダ・バイキング船博物館に滞在させてもらい、レプリカ船を作っている船大工の話や、実際の発掘されたバイキングの沈没船を見て感じたことを呟いてみたいと思います。

1. バイキング船のデザイン。船首材と船尾材について。

まず最初にバイキング船がどのようにデザインされていたかについて私の考えを紹介したいと思います。

バイキング船はその外板部が船体構造の核になるシェル・ベース・コンストラクションで作られた船体構造をしています。

中世後期に地中海に登場したフレーム(助骨)が船体構造の核となるフレーム・ベース・コンストラクションの船と違い、船の組み立てを開始する前に船のデザインを行うのが難しいのがシェル・ベース・コンストラクションで造られた古代船や中世中期以前の船だと考えられています。

しかしながら地中海の造船において古代と中世を通して統一して言えるのが、船の中央部の形をデザインすることが造船の第1段階であり、船の中央部が船全体の形をコントロールするということです。

一方で北欧の中世中期の船であるバイキング船ではあまり造船過程について、どのように船全体の形をデザインしたかについてはこれまであまり議論されていませんでした。

バイキング船の特徴としては、船首と船尾が似たような形をしているダブル・エンド・ハルであること(船の両端の形が似ていて一見どちらが前か後ろから分かりにくい形)と、その船首材と船尾材が地中海の船に比べてとても凝った造りになっているということです。下の画像は発掘されたバイキング船の船首部分です(保存処理中に歪んでしまって、展示中の本体と組み合わなくなり壁に展示しています。)

一般の考古学者の通説としてはこれは外板列と船首材(と船尾材)を組み合わせる場所は強度が弱くなるので、前もって船首材と船尾材をこのような形に彫って、接合部の強度を保っていたというものです。

しかし私の受けた印象としては、この船首材と船尾材の形こそがバイキング船の形を決めていたデザインそのものだというものでした。つまり船首材と船尾材がバイキング船の設計図の役割をしていたのではないかという仮説です。地中海の船では船体中央部の形を作る中央部のフレームは決まったカタがあり、そのカタの形からフレームが掘り出されて船の形を決めていました。

これと同じようにバイキング船の造船所にはテンプレートとしていくつかの形をした船首材がカタとして置いてあり、つくりたいバイキング船の種類によって船首材のカタを選択して、そのカタをコピーするように船の船首材と船尾材をまず作り、それをデザインの核として船の全体を作ったのではないかというものです。

つまり船首材と船尾材の形があらかじめ決まっていたために、ある意味船の量産が可能であったという考えです。

この仮説で重要なのは、中世において船体の中央が船のデザインの中心であった地中海の船に対し、北欧のバイキング船は船の両端部にデザインの中心があるという全く別のコンセプトで作られた船であった可能性が高いということです。

バイキング船博物館で働いている船大工達は船のデザインは単純に発掘された船の復元図の形からレプリカ船を造っているといっていました。その際にやはりキール(竜骨)の上に最初に建てているのが船首材と船尾材なのです。

もちろんこのバイキング船のデザインと造船過程のコンセプトに関する考えは仮説でしかなく、それを証明するにはバイキング船の造船所を発見し発掘して、沈没船の一部ではないテンプレートとしての船首材(の形をした木材)をいくつか見つけるしかありません。これは現実的に、都合よく造船所の遺跡を見つけられる可能性は極めて低いと言えます。

2. クリンカー・ビルトの起源

バイキング船を含めた中世北欧の船の最大の特徴が外板列の端と端を重ね合わせ、鉄製のリベットで留めたクリンカー・ビルトとよばれる造船方法にあります。重なり合った外板と列になって並んだリベットが荘厳で独特なバイキング船の外観を作り上げているのです。

しかしながら私が前々から気になっていたのが何故、世界中の歴史上のどの船とも違い、北欧のバイキング船だけが鉄製のリベットを使用していたのかということです。

その謎を説くヒントが外板の薄さにありました。基本的に外板部が造船過程の核となるシェル・ベース・コンストラクションでは外板部が分厚くなります。しかしバイキング船においてはその端を重ね合わせるラップストレークという外板列の接合方法のおかげで外板を分厚くしなくても済みます。

しかし私がバイキング船を初めて直接みた印象としては外板が薄過ぎるというものでした。例えば全長が30メートルを越えるバイキング船でも外板の厚さは2cmから3cm足らずなのです。さらに外板部が完成した後に取り付けられたフレームも数が少なく、フレーム間隔が空きすぎています。これでは北の海を航海する船としては船体の強度が弱過ぎると思いました。

バイキング船博物館には発掘された船の情報を元に造ったバイキング船のレプリカがいくつもあり、博物館の活動の一つとしてその船で外洋の航海を何度も行っています。レプリカ船で航海したことのある学芸員にその時の様子を聞くことができました。

それによると船は恐ろしく柔軟な構造をしており、外洋では船は常に波によってねじれていたといっていました。

ここから考えられるのはバイキング達が北海の高い波を超えられる船をつくるために、あえて船を柔軟に造ったということです。

しかしながら柔軟過ぎる木造船には一つ大問題があるのです。中世の船や多くの木造船には外板同士、又はフレームと外板の接合には木釘を使っていました。木釘は造船後に水に濡れると膨らみ、船体の一部になります。さらに鉄や銅釘などで起こる金属の腐食も無く、さらに安価であるため中世地中海の船の造船では好んで使われていました。しかしこの木釘を柔軟過ぎる船体に使用すると、度重なるねじれによって木釘が飛び出してしまう危険性があります。

一方でバイキング船に見れるリベットは鉄釘を木材に打ち込み、反対側から出てきた釘の先端に小さな鉄の板を当て撃ち込み、簡易溶接します。そしてこの鉄釘には当然頭があるのでこの釘の頭と反対側の鉄の板によって両側から挟むように固定され、釘が飛び出すのを防ぐ構造になっています。

つまり私の仮説としては、北海の荒波に耐える船を作るために、極端に柔軟な船を作るという選択をしたバイキングたち。そしてそれによって起こった問題を解決するために用いられた鉄のリベット。その結果のクリンカー・ビルト。これが現在私たちが知っているバイキング船の荘厳な外観を作る起源になったのではないでしょうか?

これも証明されるまでは勝手な仮説(思い込み)でしかなく、これを証明するためにはあえて木釘だけでバイキング船のレプリカ船を作り、外洋を航海させて沈む様子を記録するしかありません。何年もかけてわざわざ沈むのを見届けるためにレプリカ船を造ったりはしないでしょうからこれも現実的には証明するのはとても難しいことです。

まとめ

以上の2点が私が実際にロスキルダ・バイキング博物館に来て感じたバイキング船に関する考察です。

いずれにしろ北欧のバイキング船は同期代の地中海の東ローマ帝国の船とは全く違ったコンセプトのもとに作られた船でした。

その実用性と見た目の美しさ。ますますはまってしまいます。バイキング船、大好きです。

バイキング船考」への1件のフィードバック

  1. 私は、72才になって、暇なモノですから「日本古代史」を書いていますが、どうしても「引っかかる=障害になる」のが、古代船です。唯一「古代日本の船での移動力」と言うホームページに、「バイキング船」と言う言葉が出てきて、「これが正解」と思って、古代史研究家に話をしますが、「不評」なのです。しかしながら、今回、貴方の文章を読んで「閃き」ましたので、貴方の文章を引用させて貰って、「日本の古代船」の論文を書きたいと思っています。もちろん、完成時にはご批評いただければ良いのですが、問題は、船に関して「ド素人」なので、貴方の文章の間違った引用、間違った解釈をするかも知れないという心配です。
     従って、その様な引用が見つかれば、「即、全削除」しますので、どうぞ宜しく、お願い申し上げます。
     どうでしょうか。

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