鉄のカーテンの向こう側

鉱山と製鉄に街「オストラバ」に来ています。写真は冷戦終結後、共産主義崩壊によって閉じられた工場跡です。

実はプラハでの最終日にチェコスロバキア時代の民主主義革命であった「ビロード革命」の30周年にあたりさまざまな特別展や抗議デモ(いたって平和な祭みたいな感じでした)が行われていました。

友人のマテにチェコの近代史について教えてもらいながら感じたのは自分が「鉄のカーテン」(冷戦時代の西欧と東欧の分断線。ここでの東欧とは旧共産主義国家群のこと)の向こう側にいるということ。

教科書やドキュメンタリー番組の中でしか見たことがなかった場所に浸っていました。

チェコ共和国も旧共産主義国家。人々は1989年のベルリンの壁崩壊後、ドミノだおしのように訪れた民主化の流れの中で勝ち取った自由を誇りにしながら、自由経済(資本主義)の流入による動乱の中でできた傷痕を抱えています。その中で引き続き生きている人々の美しさ。

ユートピアを目指したはずの「共産主義」。その理想すぎる思想は冷戦下で世界中の人々に影響を与えました。最後はベルリンの壁の崩壊とソ連解体によりこの思想は幻であったことがわかりました。それでも全ての動乱と混乱は現在の私達の歴史の一部となり社会の礎になりました。

なぜか懐かしくも感じる街並み。オストラバは現在でも工業地帯の街として栄えています。

共産主義とはなんだったのかを感じることのできた数日間でした。ちなみにチェコ人を含め東ヨーロッパ(旧共産圏)の人はみんな親切。必要以上は持たず、共有する文化が人々の中にいきづいているのかもしれません。それに比べてアメリカや西欧の文化(人々)は常にどちらが上かを競い合っている感があります。

どうしても「資本主義」対「共産主義」、「民主主義」対「社会主義」のように大枠で語られることの多い「冷戦」。しかしその中で生活していた人々があり、その中で文化と歴史を築いていたのだなと。

社会としてどちらが正しいのかは分かりません。しかし人としてはこういう生き方(文化)もあるのかと学ばされました。

本当に知らないこと(知った気になっていたこと)ばかりで嫌になります。

ちなみにしっかりとチェコ寿司も食べました。近いうちにウェブサイトの寿司コーナーも更新します。

今日からポーランドに入ります。

鉄のカーテンの向こう側」への1件のフィードバック

  1. オストラバの写真を見たとき、どこか私の地元である長崎の軍艦島に似てるなと思いました。炭鉱で栄えたけど、閉山とともに、そこに生活の匂いを残したまま、無人島になってしまいました。
    ただ、そこには、その時代に生きた人々の思いが
    建物と共に残されて、その思いに浸る事が出来る場所。
    恥ずかしながら、オストラバという街を山船さんのブログを見るまで知りませんでしたが、すごく興味を持ちました。勉強します!
    以前、山船さんが、世界ふしぎ発見で話してましたが、トレジャーハンターが沈没船を爆破して宝を取ると。こういう歴史的建造物や沈没船には、その時代に生きた人々の思いが詰め込まれていれので、改めてトレジャーハンターの行為を悲しく感じます。
    そちらも寒いようですが、風邪に気をつけてください。

rie へ返信するコメントをキャンセル

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

Hi-Story of the Seven Seasをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む